瀧見観音堂ーー参禅案内

瀧見観音堂――参禅案内

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◎瀧見観音堂について

瀧見観音堂は新座市石神の観音信仰を守る場であるとともに、

禅の修行道場です。只管打坐を推奨しています。

◎参禅案内

〇一日接心(坐りづめ) 各月最後の日曜日  (変更時は当記事でお知らせします) (8月は休み) 

(差定が変わりました。ご確認ください。)

 差定:5:10~ 6:50   止静・経行

    6:50~ 8:20     食事/休憩

    8:20~9:50      止静・経行

    9:50~10:20    休憩

    10:20~11:50  止静・経行

    11:50~13:20  食事/休憩

    13:20~14:50  止静・経行

              14:50~16:10     作務/休憩

      16:10~17:00     止静

 *感染状況によって、予定変更になる場合があります。

  休憩時間にお越しください。

   *食事は各自ご用意ください。近くにスーパー,韓国総菜屋,外食などあり。

観音講と境内作務

毎月18日暁天坐罷に観音講を行います。

前月17日は午前中に作務(境内清掃)を行ないます。作務に参加される方は7~9時の間に、動きやすい服装でお越しください。

◎行事参加の諸注意

・参禅経験の有無は問いません。自ら学び、修行するという自覚をもって、お越しください。団体様お断り。ズボンは立って膝が隠れるよりも長いもの。スカート不可。

・住所/アクセス

 埼玉県新座市石神4-9-14 浄明寺(瀧見観音堂) 住職:唐子正定

 西武池袋線 東久留米駅より徒歩20分 バス(朝霞台駅ゆき)5分

        宝泉寺前バス停下車 徒歩5分

 *東武東上線 朝霞台駅(JR武蔵野線 北朝霞駅)よりバス(東久留米駅ゆき)20分

        宝泉寺前バス停下車 徒歩5分

 ※詳細は地図・ナビをご利用になるか、近くの人に聞いてください。

 ※境内に駐車スペースあり。

その他

 *各行事は10分前に開堂します。

 *参禅中の私語は自分、相手、周りの三方にとって修行の妨げになりますので、

       なるべくご遠慮ください。

 *堂内での喫煙ほか私的な火気の使用はご遠慮ください。

 *休憩時間を除く食事・間食はお控えください。水分補給はかまいません。

参禅料について

 お志

*冬場は暖房費をお願いする場合があります。

◎書籍案内

唐子正定著『正法眼蔵「仏性」参究』春秋社刊

                上田閑照(京都大学名誉教授)推薦

…論理によって論理を超えた行的論理を、テキストの文脈中の一言一句とその行間に秘められた思惟のひだを、できるだけ精確にとり出して、道元禅師の「思惟ならぬ思惟」に肉迫しようとする、本書は一つの試みなのです。(本書より)

正法眼蔵「即心是仏」の参究

正法眼蔵「即心是仏」の参究  (改訂版) 2023年8月 唐子正定

序論:「即心是仏」の巻を読むにあたって

 「即心是仏」という言葉はもともと馬祖道一の言葉である。ふつうこの言葉は、即心は仏である。自己存在又は自己自身は修証と無関係にそのまま仏であると解されている。しかし道元禅師のこの巻では全く破天荒な解釈がなされている。その大筋を示そうとすると以下のような筋道になるだろう。

 第一に禅師の立場は空の場に立っているということである。もともと一切法は空の場の内にあって空から空へである。その空の場にあっては諸法は例外なく無自性にしてそのときその場の動力学の内に働いている。しかしこの空の場に立つには、我々の自己が主体的に絶対否定のゼロ点(無我)において空の場の動力学と一体となっていることである。もともと空とは決してただ空っぽな無を意味するのではなく、「般若波羅蜜多」の絶対的な働きを意味するのである。それは「仏性」とも「心性」ともあるいは「正法眼蔵涅槃妙心」とも言われるが、実体として誤解されるおそれがあるので、あえて「空(第一義空)」という言葉を用いるのである。こうして我々の生きている世界はこの空の上に成り立っている有限の世界である。従って一切諸法は空と我々の世界との二重構造をなしているわけである。尤もそれは実体的な構造ではなく、単なる説明形式として見えざる世界の二重性として論理的に表現するのである。こうして空の場において一切諸法の個々の「もの」は「もの自体」として、また「自己」は「自己自身」として、如実かつ唯一的絶対的存在事実なのである。しかしそれらは同時に空と一なる世界内の事実として相対的仮現的現象的である。例えば「鳥飛んで鳥の如し、魚行いて魚に似たり」(「坐禅箴」) という言葉は空の場において飛ぶ鳥そのままの如実なる鳥の自体、あるいは行く魚そのままの如実なる魚自体でありながら、同時に世界内の鳥、世界内の魚として、それぞれ「如し」「似たり」として仮現的(現象)である。「般若心経」の「色即是空」「空即是色」は、両者の「色」はともに同じく「如実の色」と解されるが、それとは別に、前者の色は世界内の色として仮現的に対し、後者の色は空の場の色として如実なる色自体だとも解されるのである。

 第二に、空の場における一切諸法が無自性であるということは、空の場それ自体が力の場(動力学の場)である以上、一切諸法の一々はその時々によってどこからでも一切諸法の絶対中心になることができると同時に、逆対応的にその中心を支える契機として互いに主従の相入関係を自由にすることができるのである。これから参究する「即心是仏」についていえば、「即」も「心」も「是」も「仏」もその一々が相互にそれぞれ全体の中心になる時、他の一切はその中心を支える契機としてその中心に融即し、唯一的絶対的独立の事実自体となることができるということである。そこに互いの相入関係による動力学が働いているということである。もう一例として、「但ただ衆法を以て此身を合成す」という一句も(「海印三昧」の巻中にある馬祖道一の言葉)、教学的には「此身」という自己の存在は、限定的な「四大五蘊」の有自性的な様々の元素(衆法)の合成によってのみ成立すると解されるが、宗意では、「但以衆法」とは、限られた有自性的な元素の集まりを超えて、空の場の無自性的な尽界の即融相入を支えとして、今ここに現前する自己自体(「此身」)の成立の絶対事実を表現しているものと解される。「尽十方界真実人体」(「身心学道」の巻)という意味である。

 第三に、空の場には言葉の二重性が含意されている。というのは、空の場においては、いかなる「ことば」いかなる「意味」をも超えている言葉以前の原始の事実(「言」)が、世界内の「言葉」になっているからである。「歴劫無名」(「古鏡」の巻)であるの事実(「言」)自身が「有名の言葉」になっているのである。だからそれだけから見れば、禅仏教は空の場に立っているので、「ことば以前」として古来から「以心伝心」こそが仏法の真実であって、「教外別伝」のところに、禅仏教の真骨頂があると考えられてきた。しかし道元禅師においては、空の場に立つということは同時に我々の生きている有限な世界と共にあるということである。つまり空と世界と同時的であるから、原始の言葉以前の無相の事実そのものはこの世界においては必ず有相の言葉として現出するということである。勿論その言葉は単なる人間による妄想の言葉ではない。言葉以前の事実そのものが言葉になって出てくるのである。「ことばから出てことばへ」(上田閑照)である。道元禅師が一般の禅仏教の常識に逆らって教外別伝を否定するのはこの言葉の二重性によっているからである。仏法としての禅仏教は、単に悟り体験にとどまりそれにとらわれるものではなく、その体験が成り立つ身心脱落の行の論理性にまで究明されねばならないのである。現に、道元禅師の『正法眼蔵』は悟り体験(入仏)にとどまることなく、その成り立つ逆説の行的論理は、衆生済度の同事行の論理(入魔)にまで言及されていることを忘れてはならないと思う。「生死即涅槃」「煩悩即菩提」「生滅即不生滅」などという世界内の現象(仮現)としての生死・煩悩・生滅と、空の場の如実のそれ自体としての涅槃・菩提・不生滅との「即非」の論理も、その逆説(絶対矛盾的自己同一)の一例である。「言語道断心行処滅は一切の言語一切の心行なり。」(「安居」の巻) 特に「生滅即不生滅」は、空の場における時の問題として、時のうちの徹底が同時に時の外への超越として絶対現在を意味している。それは「一刹那即永遠」「無常即有常」とも言うことができる。

 第四に、これは前述のすべてに関連することだが、空の場における絶対中心に位置する自己は、尽十方界如実の個として天上天下唯我独尊の自己である。その唯一絶対的な独立の自己は、場所的個として尽十方界自己であると同時に、世界における自己として、他己(汝と彼)とは互いに絶対的のままで逆説的に相対する関係にある。このことを「身心学道」の巻では、「(真実)人体(の我)はたとひ自他(自己と他己)に罣碍せらるる(相対的関係にある)といふとも、尽十方界なりと諦観し決定するなり。」人体(自己)は相対的存在であると同時に尽十方界真実人体(場所的絶対的個)であるというのである。つまり空の場においては自己と世界(尽十方世界)と空(仏性)とは一であるというのである。

 総じていえば、禅仏教は自己の外に絶対的権威を置かない。真の自己とは何か、いかにして真の自己自身になり得るか、その自己究明の宗教である。しかもその自己究明の仕方は、他の宗教と比べて優れて哲学的である。もちろん禅仏教は単なる哲学ではない。哲学に対して強いてその特徴を引き出すとすれば、それは「哲学以前にして哲学以後である」(西谷啓治)。その「哲学以前」とは、哲学成立の根源ということであり、「哲学以後」とは、哲学からの超越ということである。特に道元禅師の『正法眼蔵』は、一般の宗教的教学の単なる教説の論理を超えていることは勿論、この第三の文節で言及した通り、大方の禅仏教の悟り体験そのものの説示の常識にも逆らって、禅仏教に対する哲学からの論理的批判的要請に応えて、行的な身心脱落の実存の論理を事としている。その行的な身心脱落の実存とは、真実の自己自身としての結跏趺坐の三昧王三昧に帰結するのである。

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(一)

仏仏祖祖、いまだまぬがれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり。しかあるを西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり。学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず、将錯就錯せざるゆえに、おほく外道に零落す。いはゆる即心の話をききて、癡人おもはくは、衆生の慮知念覚の未発菩提心なるをすなはち仏とすとおもへり。これはかって正師にあはざるによりてなり。

 この最初の一文節で、「即心是仏」の巻の大意が表示されているものと思う。『啓迪』(西有禅師)の序文はその点で見事に主旨を言い当てている。「仏祖の一言は安易ではない、一代の全挙力が一句で現れている。ここを見はずすな。」この警句を私なりに解説するなら、「仏祖の一言」は「一代の全挙力」である。「仏祖の一言」とは、一切は空の場におかれている。従って空の場に立脚してはじめて仏法になる、その空の場に立脚するとは、参究する自己自身が絶対否定され、我なしの解脱の自己(身心脱落、脱落自己の実存)としてはじめて仏祖の一言となっているのだ。その時仏祖の一言は空の場において、無自性・無基体的となって活きている。従って最初の一文、「仏仏祖祖、いまだまぬがれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり」は、まず『御聴書抄』(経豪)の注釈を挙げると、「此即心是仏の詞を、打任て心得たるには(普通の理解では)、此意識の心を指して、是(れ)(ち)仏也と云(う)様に心得たり。」又「仏仏祖祖は、此即心是仏を保任(保護任持)すると云へば、即心是仏の道理を、仏仏祖祖は参学し給ふ人と聞ゆ、何(いずれ)も不当なり。」まずこの注解には、すでに当時の天台教学の観念論を批判する立場が窺えるのである。天台教学の本覚門的解釈では、修行と関係なく「自己このまま直に仏じゃ」と解し、「即心是仏」の「即心」は意識の心と受けとり、最初の一文「仏仏祖祖、いまだまぬがれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり」を「いまだまぬがれず即心是仏のみなり」ということばの重さを無視して「即心是仏の道理を、仏仏祖祖は参学し給ふ人」と能所二見で解することの誤りを指摘している。この一文「仏仏祖祖、いまだまぬがれず保任しきたれるは」の文中、単に「仏仏祖祖、保任しきたれるは」でなく「いまだまぬがれず即心是仏のみなり」ということばの出処を深く洞察してゆかねばならない。それは仏仏祖祖もそこに置かれている空の場が「力の場」として仏仏祖祖の意志以前に働いていることである。つまり空の場の動力学が仏仏祖祖のもとから働いて、そこに保任が成り立っているということである。従って「仏仏祖祖」と「即心是仏」とは空の場の力によって保任せしめられて「一」としてあるということである。つまり「仏仏祖祖」は「即心是仏のみなり」「即心是仏」そのものであって、それ以外ではない。「仏仏祖祖の一人一人」が「是心是仏そのもの」だというのである。仏仏祖祖には我々の解脱の自己も含まれているので、別言すれば、仏仏祖祖の各々と解脱の自己と「即心是仏」という衆法合成の世界とが「一」としてあるということである。

 また、『御聴書抄』はそれに続けて、「即心是仏と云、即の字は只詞(ことば)、是仏と云ふ是も仏を差して云はむ料と聞えたり、非爾(しかにはあらず)。此即心是仏の即も心も是も仏も、をのをの究尽する道理、奥に委見たり。」つまり「即心是仏」は「即心」が「是仏」であると解するのでなく、「即」「心」「是」「仏」の一字一字が尽界究尽の道理だというのである。その上で序文の解説を加えて言い直せば、一字一字が無自性的に事事無碍法界をなして、互いに主従関係を自由にすることによって、それぞれが逆説的に尽々無尽に唯一絶対の尽界究尽の原事実としてあるということである。このことは究極的には一法究尽の行の論理として働くということである。こういう解釈は道元禅師のみのなしえた独創的解釈である。それ以上の詳しいことは後文にまかせて、次の一文、

「しかあるを西天には即心是仏なし、震旦にはじめてきけり、学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず、将錯就錯せざるゆえに、おほく外道に零落す。」もともと「即心是仏」は、馬祖大寂禅師の雲水たちへの説示のことばである。だから、ことばだけからすれば、「西天(インド)にはなく、震旦(中国)にはじめてきけり」ではあるが、「即心是仏」ということばの意味する実質は、西天・震旦の地理国土に関係なく実在していることは、「達磨不来東土、二祖不往西天」の「身土不二」で解することができる。つまりこれも空の場から発せられた表現であって、空の場においては、達磨も二祖もそれぞれその主体性を絶対否定されて、時空を超えて無限に開かれた絶対自由にある処、「尽界達磨」であり「尽界二祖慧可」である。だから最初から往来を越えて身土不二の達磨として、また二祖慧可として、「即心是仏」のことばならざる真実は、震旦だけに限らずいかなる場所においても絶対普遍的だというのである。ところが「学者」といってもこれは具体的には天台の教学のみならず華厳宗法華宗真言宗の観念的な教学者たちを指すのであろう。ことばのことばならざる原事実を知らないために、ことばに執われて「学者おほくあやまるによりて、将錯就錯せず、将錯就錯せざるゆえに、おほく外道に零落す。」ここで「将錯就錯」ということばは、道元禅師の独自な不能語である。それは文字通りでいうと、「あやまりを将ってあやまりに就く」ということであるから「あやまりばかり」という意味になるが、禅師の場合それを逆説的に肯定的に用いているのである。つまり「あやまりばかり」の外に「あやまりでないもの」はない、「尽十方界錯」として錯にあって錯を超えるという「解脱」の意味にとっているのである。『正法眼蔵』では禅師がしばしば「錯用心」(「仏性」の巻)とか「錯錯」(「行仏威儀」の巻)とか、あえて「錯」(あやまり)の用語で逆説的に真実の仏法を表現しようとする意図は、迷える衆生にも通ずるためあえてあやまりの罪を犯して衆生済度の同事行を行ずるため「迷中又迷」の大迷に徹する処に、真実解脱への転換を意味したものと推量される。この解脱はさらに翻転して、「一法究尽の錯錯」は「一法究尽の不錯」と表裏一体を意味することになる。こういう逆説的な用語の用法は禅師独特なもので、『啓迪』でも、「頭上安頭ずじょうあんず」とか「葛藤纏葛藤かっとうてんかっとう」とか「兀地に礙へらる」とか、この類である。ほかにも前述した「迷中又迷の漢」とか「大迷」とかもそうであろう。この「錯の一法究尽」としての「将錯就錯」は『御抄』では「只将錯就錯をば、唯仏与仏と可心得、即心是仏と心得べし、即心即仏と可心得」といわれているのである。後文で改めて説明するはずであるが、すべては一法究尽の行の論理に帰結してゆくのである。 

 さて、馬祖の「即心是仏」ということばは、馬祖下にいた大梅法常とのやり取りの中で「非心非仏」ともいわれ、また南泉は、さらに「不是心、不是仏、不是物(物は衆生の意)」と否定的に言い換えられている。しかしこれらの肯定と否定との互いに相反する異なった表現も、みな「われなし」の空の場(法界)非対象的な底無しの原事実そのものを直接的に言い表していることに変わりはない。以下の本文は、将錯就錯せざるゆえに、即心是仏の言をきいて、このままでよいのだと思う自然見の外道に陥る。以下はその外道見の提示である。

(二)

外道のたぐひとなるといふは、西天竺国に外道あり、先尼となづく。かれが見処のいはくは、大道はわれらがいまの身にあり、そのていたらくは、たやすくしりぬべし。いはゆる苦楽をわきまへ、冷煖を自知し、痛癢を了知す。万物にさへられず、諸境にかゝはれず。物は去来し境は生滅すれども、霊知はつねにありて不変なり。此霊知、ひろく周遍せり。凡聖含霊の隔異なし。そのなかに、しばらく妄法の空花ありといへども、一念相応の智慧あらはれぬれば、物も亡じ、境も滅しぬれば、霊知本性ひとり了々として鎮常なり。たとひ身相はやぶれぬれども、霊知はやぶれずしていづるなり。たとへば人舎の失火にやくるに、舎主いでてさるがごとし。昭々霊々としてある、これを覚者智者の性といふ。これをほとけともいひ、さとりとも称ず。自他同じく具足し、迷悟ともに通達せり。万法諸境ともかくもあれ、霊知は境とともならず、物とおなじからず、歴劫に常住なり。いま現在せる諸境も、霊知の所在によらば、真実といひぬべし。本性より縁起せるゆゑには実法なり。たとひしかありとも、霊知のごとくに常住ならず、存没するがゆゑに。明暗にかゝはれず、霊知するがゆゑに。これを霊知といふ。また真我と称じ、覚元といひ、本性と称じ、本体と称ず。かくのごとくの本性をさとるを常住にかへりぬるといひ、帰真の大士といふ。これよりのちは、さらに生死に流転せず、不生不滅の性海に証入するなり。このほかは真実にあらず。この性あらはさざるほと、三界六道は競起するといふなり。これすなはち先尼外道が見なり。

 以上の本文は、特に難しい表現はないので、箇条書きにしてその外道説を要約すれば、

①「即心」の「心」や、「是仏」の「仏」を「衆生の慮知念覚(第六意識)の未発菩提心」と受けとっていること。これは実は、当時の日本の天台教学を念頭においてそれを批判しているのである。若き道元が、「一切衆生悉有仏性」なら発心修証の必要はない、自己はそのままで仏だという天台教学に対する疑問は、中国で如浄禅師に会って解消した経緯がある。

②インドの先尼外道の見解としての「心常相滅」の思想である。これは当時の天台教学思想とも共通するものである。つまり大道としてのこの霊知は、「われらがいまの身にあり、そのていたらく(あり方)はたやすくしりぬべし。」いわゆる苦楽を知り、冷暖を弁じ、痛痒を了知し、内外の万物諸境に無関係で、物の相は去来し、境の事は生滅すれども、心内の霊知は常住にして不変である。この霊知はあらゆる有情に周遍して凡聖含霊何らの隔てがない。今はしばらく妄法の空華に迷って凡夫の姿はしていても、一念にでも霊知に相応した智慧が現れてくれば、事物も法境も滅し去って本来備わっている霊知の本性が了々として現れ、永久に不滅である。たといこの身相は敗壊しても霊知は壊することなく全く明らかに実在する。「たとへば人舎の失火にやくるに、舎主いでてさるがごとし。昭々霊々(霊もあきらか)としてある。これを覚者智者の性といふ。これをほとけともいひ、さとりとも称ず。」

③ただここで注意すべきことは、「いま現在せる諸境も、霊知の所在によらば、真実といいぬべし。本性より縁起せるゆゑに実法なり」の一文中、「いま現在せる諸境」の「いま現在せる」という現在の一点においては霊知と一であって、「真実にして実法」のはずであるが、「たとひしかありとも、霊知のごとくに常住ならず、存没する(あったりなかったりする)がゆゑに。その点で明暗にかかはれざる霊知とは別だといって、存没する諸境の相滅に対し心性の不生不滅の性海を特立し、「一念相応の智慧」の出現によって「本証をさとり」「不生不滅の性海に証入する」といわれている点で修証の必要をほのめかしている表現がうかがえる。ここで「(霊知に対して)一念相応の智慧あらはれぬれば」とはどういうことか。ここでの一念相応の智慧は、人間主体の絶対否定を介する般若智を意味するのではなく、第六意識の理性知以上のものではない。だから「菩提を菩提と会することも、菩提にとらわれた邪見」(「行仏威儀」の巻)を出ないのである。しかしその限りでの不徹底ではあっても何らかの修証は必要であろう。だから「本性をさとる」とか「不生不滅の性海に証入する」というのである。だから「この性(不生不滅の性海)あらはさざるほど、三界六道は競起する(きそい起こる)といふなり。」いわゆる霊魂不滅もその存在を信じ悟らなければ三界六道を迷い続けるというのである。しかしその信も悟りも霊知も真我も、覚元・本性・本体もそして帰真の大士もみなとらわれたものであるので、決して不染汚の般若智とはいえず、第六識の意識の次元でのことにすぎない。これは日本の天台教学の修証不要の説とは微妙な差が見出されるのである。

 さて、この先尼外道の説と通ずる教説が、次の節では中国の南方仏教にも存在しているということであるが、この辺で今までの外道見と仏法との相違を明らかにしてみよう。まず外道見は身は生滅するが「心」は生滅する身の中にあっても身の生滅に関係なく不生不滅のいわゆる「魂」として実体的に常住の存在である。ここで注意しておくべきことは、心には質的に異なる二種の心がある。一つは有限な心として身の生滅と一つに心も生滅する。この有限相対の心は表現の前面にいわれていないことである。つまり有限な心は有限な身と一つであり、身が死ねば心も死ぬのである。いわゆる肉体と精神とは一体だという意味である。この有限な身には、同じく一切諸法も含まれる。他の一つは心は心性とも仏性ともいわれ、前者の身心が生滅有限有相の現象的存在であるのに対し、不生不滅の無限にして永遠に変わらぬ常住の実体的存在である。これが「心常相滅」の思想である。両者は互いに生滅と不生滅と二見分別的に質的に異なる存在である。有限な生死の身にあって不生不滅の心性を何らかの修証によって、この不生不滅の心性に目覚めることが「霊知」「真我」「覚元」であり「さとり」である。しかしこの「霊知」は「実体」だといっても、本当は第六識の意識の産物に過ぎず、それの二見分別の妄想であることを知らないのが外道見だというのである。この第六識の意識を三世常住に不変なものと妄想しているのである。それに対し、真の仏法は、まず一切が真空の場に置かれていることを前提とする。この真空の場所とは、我々の自己の主体が絶対否定されてはじめて、何の障碍もない絶対自由の開かれた世界の現出を意味している。この空の場は見えざる動力学的な弁証法的論理性に基づいて、人間の決断とは全く無関係な、「絶対否定即絶対肯定」の力が働いている。いわゆる「大死即大活」である。一切のものは、この「大活」において、いたるところそれぞれが絶対中心(主)に位置づけられると同時に、他のものはすべて絶対中心の大活のもののもとに無自性的に摂められて、そのものを支え(従)主従関係を自由にすることができるのである。一切のもののそれぞれは、絶対中心として一法究尽として唯一絶対の事実そのものである。次の慧忠国師についての文言以下は、この一法究尽の唯一絶対のもの自身についての仏法の叙述になっている。

(三)

  注:(三)と(四)の本文は、すべて漢文で書かれたもので本来本文通り全文漢文で示すべきであるが、

     読者に読みやすくするため、ここでは書き下し文に改めたものだけを示す。

大唐国大証国師慧忠和尚問僧に問ふ、「何れの方よりか来れる」。僧曰く、「南方より来る」。師曰く、南方に何なる知識か有る」。僧曰く、「知識頗る多し」。師曰く、「如何んが人に示す」。僧曰く、「彼方の知識、直下に学人に即心是仏と示す。仏は是れ覚の義なり、汝今、見聞覚知の性を悉具せり。此の性善能く揚眉瞬目し、去来運用す。身中に徧く、頭に挃るれば頭知り、脚に挃るれば脚知る、故に正遍知と名づく。此を離るるの外、更に別の仏無し。此の身は即ち生滅有り、心性は無始以来、未だ曽て生滅せず。身生滅するとは、龍の骨を換ふるが如く、蛇の皮を脱し、人の故宅を出づるに似たり。即ち身は是れ無常なり、其の性は常也。南方の所説、大約此の如し。

 以下は「心常相滅」が先尼外道説で、仏法ではないことを、六祖の高弟である慧忠国師のことばを証拠として挙げられる。慧忠国師道元禅師が最も尊敬していた高僧の一人である。

 その慧忠国師が訪来の僧に問う、「何いずれの方よりか来る。」これは禅問答の常道である。平常の何でもない挨拶のことばの中に、「仏性をのこすところなくひっ提げて、僧の目のまえにころがし出して見せられた。」(『全講』) この世の一切の出来事はどこから来たのだ。「自己」はどこから来てどこへ去くのか、不生不滅より来たのか、生滅より来たのか、「心常相滅」の見解にかかわる根本的な問いである。古人は、「達磨東土に来らず、二祖西天に行かず」と道破した。去来のないところを去来して去来を解脱しているか。これらの問いはすべて「心常相滅」を破するための問いである。この「何れの処」が真の立脚地にならぬ限り、仏法にはならないのだ。六祖の「什麽物恁麼来」も「問処の道得」である。この僧は慧忠国師の意中に気づかず、ただ「南方より来る」と答えるだけだった。しかしこの「南方」という方向は、「東西南北」を融即する一方究尽の南方であったら、仏法になったかもしれない。しかしこの訪来の僧はそんなことは微塵も知らない。そのことは今はともかくとして、国師は「南方にはいまどんな善知識がおるかな」「沢山の善知識がおります。」こうして六祖の死後、国師の生きていた当時の南方の仏法の事情が語られている。この僧によれば、南方の指導者たちは、雲水が来さえすれば、「直下に(即座に)」「仏法は即心是仏だ」と示すという。その「即心是仏」の南方の指導者たちの解釈が以下の通り書き下し文である。

「仏は是れ覚の義なり、汝今、見聞覚知の性を悉具せり。」以下の文節は、

「此の性善能揚眉瞬目し、去来運用す。身中に徧く、頭に挃るれば頭知り、脚に挃るれば脚知る、故に正遍知と名づく。此を離るるの外、更に別の仏無し。此の身は即ち生滅有り、心性は無始以来、未だ曽て生滅せず。身生滅するとは、龍の骨を換ふるが如く、蛇の皮を脱し、人の故宅を出づるに似たり。即ち身は是れ無常なり、其の性は常也。南方の所説、大約此の如し。」

 内容は易しいので口語訳にすると、「即心是仏」の仏とは、自覚覚他の覚だ。(もともと仏には覚者としての人格的意味と覚(迷いから解脱する)という出来事として非人格的意味とがあるが、ここでは後者の意味。)汝今ことごとく見聞覚知の性を具す。(眼がものを見る、耳が音を聞く(「見聞」) 痛痒・冷暖・苦楽を弁える(「覚知」)ことができる本性をもっている。) しかしこの見聞覚知の性は、第六意識いわゆる二見分別心に過ぎない。仏法は「無分別の分別」、無分別自身の働きそのものが分別となっているのであるが、無分別でない単なる分別は妄識である。この見聞覚知の性、いわゆる霊知といわれるものは、「揚眉瞬目」(眉をつりあげ、眼をぱちぱちしてみせ)、「去来運用」(あちらに行き、こちらに来て、その意識が自由に働くのである)、その霊知が誰の身中にもどこにでも働いていて、頭を叩けば痛いと頭が知り(「頭に挃るれば頭知り」)、脚を払うと痛いと脚が知る(「脚に挃るれば脚知る」)。「どこにでもこの霊知がある。睡眠ねむっていても、蚊が刺すと掻く、霊知だけはねむらずにいる。」(『全講』) だからそれを「正遍知」というのである。(しかし真の正遍知は三藐三菩提(無上菩提)をいうので、ここでいう霊知とは全く次元が異なる間違った考えである。西田哲学でいうと正遍知(無上菩提)は「絶対無の場所」、第六意識は単なる「相対的な無の場所」に過ぎない。)「この霊知のほかに仏はない」という。明らかに妄想分別を仏と称しているのである。「此の身には即ち生滅有り。心性は無始以来、未だ曽て生滅せず。」(ここで注意すべきは、「身」と相対的な「心」を不生不滅を意味する「心性」と混同して用いている。これは後述する。)身は生滅するが、霊知は未だ曽て生滅にわたらない。三世常住だ。それのことを「心常相滅」という。身の生滅は、竜がその骨を換え、また蛇がその皮を脱するように、竜の骨や蛇のぬけがらの皮は生死するが、竜そのもの蛇そのものは死なない。また人の住む家は焼けてもその家に住む主人公は霊知としてそこから出て生死と無関係なものである。「即ち身は是れ無常にして其の性は常(常住)なり。」ここで、「身と心性」と「無常と常住」とをそれぞれ最初から分けて語っていることに注意しなければならない。それにくり返しになるが、身中の心と身の外の心(これを心性とも霊知とも言っている)とを実質上同一のものとしていることにも検討する余地が残されている。(これは後述。)「南方の所説、大約是の如し。」これが南方の善知識の所説であって、この心常相滅を悟った人が仏である。だからこの心常相滅の道理に徹底せよというのである。

(四)

師曰く、「若し然らば、彼の先尼外道と差別有ること無けん。彼が云く、「我が此の身中に一の神性有り、此の性能く痛癢つうようを知り、身壊する時、神則ち出で去る。舎の焼かるれば舎主出で去るが如し。舎は即ち無常なり、舎主は常なり」と。審しんすらくは此の如きは、邪正弁ずるなし、孰いかんが是とせんや。吾れ比そのかみ遊方せしに、多く此の色を見き。近いま尤も盛んなり。三五百衆を聚却あつめて、目に雲漢うんかんを視て云く、「是れ南方の宗旨なり」と。他の壇経を把って改換して、鄙譚ひたんを添糅てんじゅうし、聖意を削除して後徒こうとを惑乱す、豈言教を成らんや。苦哉、吾が宗喪ほろびにたり。若し見聞覚知を以て是を仏性とせば、浄名は応に「法は見聞覚知を離る、若し見聞覚知を行ぜば是れ則ち見聞覚知なり、法を求むるに非ず」と云ふべからず」

 師慧忠国師の言われるには、もしそうだとすると南方の善知識の説く所は、もともと『涅槃経』中にある先尼外道の見と同じではないか」と。先尼外道の言うには、我が身中には一つの神性(霊知)があって、この神性がよく痛痒を知り、たとい身は死んでも、神(霊知)は身から出てしまう。ちょうどそれは、火事で家が焼けても、舎主はそれから出で去って焼け死ぬことはないようなものである。家は無常だが、舎主の主人公は有常である」と。「審すらくは此の如きは邪正弁ずるなし。」このような南方の知識の言うことと仏正法とはどこがどう違うか、それを明らかにすることが一向にできていない。「孰んが是とせんや」どのようにしてこれを是正しようやと。そしてさらに国師は次のように嘆いていうのである。私が曽て地方を遊説した折、そのようなことをいうものが多い(「多く此色(たぐい)を見る」)。特に六祖師匠の御遷化後の近頃はこの外道見が最も盛んになってきている。その外道が三百人や五百人の修行者たちを集めて「目に雲漢を視て」(天の一角をにらんで)、わしだけ悟ったというような慢心を起こして、「南方の仏法はこうだ」というのである。その慢心から、『六祖壇経』(六祖が戒壇で説戒されたものの筆記集、天桂伝尊の『海水一滴』はそのすぐれた注解書)の六祖の説を勝手に書き換えたり、鄙俗な話を添え加えて、六祖の聖意をかき消して、若い人たち(「後徒」)を誤らせている。そのようなもののいうことは言教として当てにならぬ。(「豈言教を成らんや」) 「苦哉、吾が宗喪びにたり。」(苦々しいことだ。吾が宗、真の仏法は滅びてしまったことだ。)

 「若し見聞覚知を以て、是れを仏性とせば、浄名は応に『法は見聞覚知を離る、若し見聞覚知を行ぜば是れ則ち見聞覚知なり。法を求むるに非ず』と云ふべからず。」

 文中「浄名」とは、『維摩経』の主人公であって、釈尊の有力な在家の高弟である。ここで「法」とは「仏性」であり、「第一義空」である。それに対し「見聞覚知」とは、分別心であり妄識妄心である。この分別心の直下に、無分別心がある。いわゆる般若知である。あらゆる意識のもとには、空の場として非対象的な「非‐意識」がある。いわゆる空の場を離れたものは、見聞覚知に限らず、すべて妄心妄識であって、空の場の動力学によって「絶対否定即絶対肯定」されたものが、無分別の分別という「般若後得智」である。見聞覚知は、第六意識として先尼外道や南方の知識の見解であって、生滅するもの二見分別として妄識であるのに対し、法とは「不生不滅にして生滅」という絶対矛盾的存在である。「絶対とは対を絶したものであると同時に、何かに対してあるものでなければならない。」(西田哲学) 。空の場において、絶対否定を介して逆説的に絶対肯定された個々のものは、対を絶して「尽十方界妙有」(場所的有)である。それは唯一的絶対であると同時に、他の唯一的個に対して相対するもの(我と汝と彼)でなければならない。(「人体(有)はたとひ自佗に罣碍せらるといふとも、尽十方界なりと諦観し決定するなり。」(「身心学道」の巻)) ここで注意すべきことは、「見聞覚知」は、空の場を離れている限り妄心妄識であり、生滅するものであるが、だからといってこの見聞覚知という分別心(慮知心)そのものは全く価値のない否定さるべきものではない。なぜなら、「発菩提心」の巻には「この慮知心にあらざれば、菩提心をおこすことあたはず。この慮知心をすなはち菩提心とするにはあらず、この慮知心をもて菩提心を起こすなり。」とある通りである。そこに慮知心即(非)菩提心という逆説がある。これは空の場においてのみ成り立つのである。「仏縛といふは、菩提を菩提と知見解会する、即知見、即解会に即縛せられぬるなり。」(「行仏威儀」の巻) 菩提心の徹底は逆対応的に慮知心の妄識である。「執坐相とは、坐相を捨し、坐相を触するなり。」(「坐禅箴」の巻) 正身端坐の行の徹底は「捨坐相」として四威儀の平常底ともなるのだ。「思量分別をもって思量分別に非ざる般若を悟る、これが修行である。この妄心を除いて教行証もできぬ。この妄心が一番必要だ。妄心をもって妄に非ざる真心を明むるのである。」(『啓迪』) ここをもって「生死即涅槃」という絶対否定を介した逆説も生きてくる。「真の生死」とは「生死即涅槃」においてであり、真の涅槃(菩提)とは「生死即涅槃」「煩悩即菩提」においてである。

(五)

大証国師は曹谿古仏の上足なり、天上人間の大善知識なり。国師のしめす宗旨をあきらめて、参学の亀鑑とすべし。先尼外道が見処としりてしたがふことなかれ。近代は大宋国に諸山の主人とあるやから、国師のごとくなるはあるべからず。むかしより国師にひとしかるべき知識いまだかつて出世せず。しかあるに、世人あやまりておもはく、臨済・徳山も国師にひとしかるべしと。かくのごとくのやからのみおほし。あはれむべし、明眼の師なきことを。

 この大証国師は、六祖大鑑慧能(638-713)の高弟として、青原・南嶽に並ぶ南陽慧忠(?‐775)のことである。「天上人間の大善知識なり。」この偉大な指導者の言葉の根幹にある大切な趣旨を明らかに受け止めて「参学の亀鑑(手本)とするべきであると説かれ、南方の知識の言うことは先尼外道の見解だと知って、追随していってはならぬと戒められる。近代宋朝の二百年来、諸山の住持職と称する多くの人たちは、「国師のごとくなるはあるべからず。むかしより国師にひとしかるべき知識いまだかつて出世せず。」先尼外道の見と、仏正法との区別を明らかに知っている明眼の師はいない、それだけ仏法が衰えたからこういわれるのだ。ところが「世人あやまりておもはく、臨済(黄檗の法嗣)や徳山(龍潭の法嗣)国師にひとしかるべしと。かくのごとくのやからのみおほし。あはれむべし、明眼の師なきことを。」

注:

参考までに言えば、「近代は大宋国に」以下「あはれむべし、明眼の師なきことを。」までは底本にない。おそらく臨済・徳山を批判的に見ている処を後人が削除したものなのであろう。岩波文庫(水野校訂)には、「七十五巻本により補う」となっている。なお臨済・徳山の仏法に対する道元禅師の批判的見解については、『正法眼蔵』の処々に見出される。禅宗史からいえば、

南嶽の弟子が馬祖、馬祖の弟子が百丈、その百丈禅師までは只管打坐が伝わっていたが、その百丈の弟子の潙山霊祐(いさんれいゆう)に至っては、彼の著述「警策(きょうさく)」には、「悟りをもって則(のり)となす」とあり、道元禅師当時の坐禅は仏行でないことになっていた。その中でただ如浄禅師だけが、大悟を求めず、作仏にも要はない、ただ坐禅になる坐禅のみを勧めていた。道元禅師はこの如浄禅師の坐禅になる坐禅を学び行ぜられたのである。その点では、大証国師の仏法は臨済・徳山・大潙(だいい)・雲門(うんもん)等のおよぶところにあらずといわれているのである。私見によれば、彼らには悟り体験が強調されすぎて、衆生済度の同事行の提示が軽視されている。ここでは、この問題は今後の課題として受け取っておく。

 

いはゆる仏祖の保任する即心是仏は、外道二乗ゆめにも見るところにあらず。唯仏祖与仏祖のみ即心是仏しきたり、究尽しきたる聞著あり、行取あり、証著あり。

 「いはゆる仏祖の保任する即心是仏」は、これは最初の「仏仏祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり」に照応する。「仏祖」は保護する人、「即心是仏」は保護される仏あるいは仏法と受けとられがちだが、それでは二物対待の二見分別になってしまう。ここでは「仏祖の身のこらずが即心是仏だということだ。」(『全講』) だから二見分別の「外道・二乗のゆめにも見るところにあらず。」いわゆる「心常身滅」ではない。凡夫・二乗の身心は共に「生滅するのみ」、仏法の身心は、尽界身尽界心(性)であり、空の場における無自性として「不生滅の生滅」である。次に「唯仏祖与仏祖のみ、即心是仏しきたり」という。ここで「唯仏祖与仏祖」というのは、「ただ仏祖と仏祖と」と複数の仏祖として読むのではない。これは「妙法蓮華経方便品」に「唯仏与仏乃能究尽諸法実相」とあるその「唯仏与仏」である。この経文を書き下し文にすれば、「唯だ仏と仏と乃いまし能く諸法の実相を究尽したまえり」である。この経文の「唯仏与仏」を道元禅師は「唯仏祖与仏祖」と書きかえているが、両者の間にことさらの相違はない(両者の差異については後文の解説参照)。もともと「唯仏祖与仏祖」とは、「証嗣証契」する師匠と弟子との両者の間柄を意味するのであるが、宗意の立場からは、師匠と弟子とは二面裂破(二見超越)して、「唯仏という仏のみ」あるいは「与仏という仏のみ」として、尽界にただ一人のみ、その外に他者なしの唯一的絶対的な一人のみとして読ませているのである。それは「即心是仏」の一字一字が互いに主従の相入関係にあったように、「唯仏」を中心とすれば「与仏」は「唯仏」の一仏に融即相入して「唯仏ぎり」、「与仏」を中心とすれば「唯仏」は「与仏」一仏の中に相入して「与仏ぎり」。ここでいう「与仏」は広くとって尽十方世界の「一切諸仏」あるいは「一切衆生」をも含意している。従ってこれは序論で言及しておいたように、空の場(仏法)においては、この「一仏」が「尽十方世界」と一なのである(さらに我々の自己(衆生)とも一であることは後文参照)。つまり仏祖のいちいちが「唯仏祖」という仏だ。あるいは「与仏祖」という仏だとみて、尽界にかけがえのない唯一的な絶対的な仏祖を指しているのだ(事事無碍法界の一々の仏祖(後述))。さて「唯仏祖与仏祖のみ即心是仏しきたり究尽しきたり」の一文中、ここでの「即心是仏」は、即も心も是も仏もそのいちいちが「即心という時は尽天尽地即心、即仏という時は法界みな即仏である。純一無雑でそれがそれじゃ、法界は即心是仏(のいちいち)で尽きる。」(『啓迪』) 実は「将錯就錯」も「全界錯錯」(尽十方界錯)の道理で、「即心是仏」も「唯仏祖与仏祖」も「将錯就錯」も空の場(尽十方界)においていちいちの唯一的非対象的な無自性的同一事実を指示している。従って「仏祖が即心是仏を行じているというのとはまるでちがう。仏祖がたのみが即心是仏しきたり、その全身が即心是仏に現成してしまったのだ。」(『全講』) その即心是仏が絶対待的に即心是仏を聞著す(この「聞著」には教と信とが含意されている)、そして同時に即心是仏が即心是仏を修証し、仏祖の一切が即心是仏で尽きている。このほかに仏祖はない。みな教行証の仏祖である。教行証でない仏祖はない。

補注:

ついでながらこの法華経の一文「唯仏与仏乃能究尽諸法実相」は宗意の読み方からすれば、主賓や能所の二見分別で読むのではなく、「唯仏与仏」の読み方と同様、「乃」と「能」も、「究」と「尽」も、そして「諸法」と「実相」も、互いに「唯仏」と「与仏」との主従関係として、自由に相入し合って、所詮はそれぞれ「一仏」に帰結して重々無尽の「事事無碍法界」を説示することになるのである。(参照「唯仏与仏」・「諸法実相」の巻)

(六)

「仏」百草を拈却しきたり、打失しきたる。しかあれども丈六の金身に説似せず。

「即」公案あり、見成を相待せず、敗壊を廻避せず。

「是」三界あり、退出にあらず、唯心にあらず。

「心」牆壁あり、いまだ泥水せず、いまだ造作せず。

 この「即心是仏」はどの一字からも主従関係の順序を自由にし得るので、ここでは「即心是仏」の「即」からではなく「仏」から仏を絶対中心として他はすべて無自性的に仏の一字に融即して絶対的仏の現成に摂せられる。つまり「仏百草を拈却しきたり」が「仏」、「即公案あり」が「即」、「是三界あり」が「是」、「心牆壁あり」が「心」。これによると「仏即是心」で「即心是仏」の順ではないが、その順序は自由でかまわない。四字ともそれぞれ唯一的絶対事実としてあるということである。

 まず、「仏百草を拈却しきたり、打失しきたる。しかあれども丈六の金身に説似せず。」この「仏百草」はもともと「一茎草を拈じて丈六の金身(釈迦牟尼仏)と為す」という語から出たことばである。もともと「即心是仏」とは「空の場における無自性」を意味するから、百草万象が直に仏で、「拈却しきたる」とは百草を有(色)と拈じ取ってきても、「打失しきたる」百草を無(空)と捨て放ってきても、仏百草という限り、有無取捨の能所を超えて、仏百草は仏百草で絶対待の絶対自由な独立のあり方だ。だからもとの詞のように「丈六の金身」とは決して対せず、それを「説似」(説示)せずという。「この百草が直きに(即心是)仏だから、丈六身というありがたそうなものと比較して見るは無用じゃと。これを見よ、人人この百草の仏に面会ができるか、もし「百草仏」が見えれば丈六身も見える。さてこの仏を知れ、徧界不覆蔵じゃ」(『啓迪』) それが有無浮沈を超脱した仏百草だ。

 「即公案あり、見成を相待せず、敗壊を廻避せず。」これは前の「仏百草」と同じ趣意だ。「公案」とは実相・三昧王三昧・仏如来のこと。一切の「もの」(万象)があるがままの法位にあるということは、自己の脱落身心における「王三昧」の王位のもとにあるということである。それを「万象之中独露身聻にい(長慶慧稜のことば)という。その「独露身」とは絶対的に自ら露わなることとしてのその実存の真理である。一切のもの(万象)が同じ一つの世界(尽十方世界)を形成するように聚められるところ、その世界さえ蔵身せしめる絶対独立唯一的な独露身ぎり(聻)の実存である。これが「即公案」である。だからこの「独露身」(公案・実相)の外に相待する「見成」(万象)もない。「敗壊を廻避せず」どんな敗壊断絶も関係なし。それが絶対待の実存である。いいかえれば、この絶対待の脱落身心の実存は、それ自体不生不滅の事実としてそのもとに、生滅(「見成」の生と「敗壊」の滅)の一切はそこに円融して、その外に生滅はない。「見成を相待せず、敗壊を廻避せず」プラスもマイナスも有無ともに「即公案」のもとに聚められた二見以前の「即公案」である。生滅を超えた不生不滅であると同時に、不生不滅による生滅である。だから二見分別的な「心常相滅の外道見」はたたなくなる。互いに相入関係にあって、「不生不滅」ぎり、「生滅」ぎりだ。

 「是三界あり、退出にあらず、唯心にあらず。」これは「如来如実に、三界の相は生死若しくは退若しくは出に有ること無く、亦た世に在るものも及び滅度する者も無く、非実非虚、非如非異を知見して、三界の三界を見るに如かず(「不如三界見於三界」)。」(『法華経』「如来寿量品」) からの引用。「是」とは三界のこと(注)。三界というとそこからの出離を連想するが、それでは二見分別になる。「生死即涅槃」だ。三界のときは三界ぎりになることが解脱(「三界の三界を見るに如かず」)。それから「唯心にあらず」、前の「退出にあらず」が生滅にあらずなのに対し、「唯心にあらず」は不生不滅にあらずだ。「三界唯心」(後述)という分別なし、三界のときは三界ぎり、これが空の場における絶対自由の道。

注:三界とは欲界・色界・無色界の三つの総称。〈欲界〉は欲望にとらわれた生物が住む境域。〈色界〉は欲望は超越したが、物質的条件(色)にとらわれた生物が住む境域。〈無色界〉は欲望も物質的条件も超越し、精神的条件のみを有する生物が住む境域。生物はこれらの境域を輪廻する。法華経譬喩品にでる〈三界火宅〉とは迷いと苦しみのこの境域を、燃え盛る家にたとえたもの。(『岩波仏教辞典』)

補注:

 ここで言われている「三界唯心」は「是三界」の説示として三界の一法究尽を意味しているが、この「是三界」の本文とは別に、「三界唯心」という一語の本来の宗意を念のために確認しておこう。

 『正法眼蔵』「三界唯心」の巻には以下のような一文がある。

「三界唯一心、心外無別法。心仏及衆生、是三無差別。」

この一文は普通の教意から言えば、三界のすべてが一心におさまる。一心が三界へと分節してゆくものと解されている。しかし宗意では、空の場から回互的相入関係によって解されているのである。すなわち、欲界・色界・無色界の三界の一界一界は、どこからでも主従関係を自由にし、例えば、欲界を中心とすれば、他の界はすべて欲界の中に円融して欲界ぎり、他の二界も同様な関係にあり、それぞれが唯一心だと解するのである。この「即心是仏」の巻の「是三界」では、「三界」と「唯心」との二見分別を超えて「三界ぎり」と解しているが、「三界唯心」巻では、更にこの三界も互いに相入関係を自由にすることによって行的に一界一界ぎりに究極するわけである。

 次の「心仏及衆生、是三無差別」も、心・仏・衆生が根底的に無差別だというのではなく、心・仏・衆生の一一が無自性にして回互的相入関係にあり、「(尽界)心ぎり」「(尽界)仏ぎり」「(尽界)衆生ぎり」と事事無碍法界的に解するのである。これが二見分別を超えて行的論理に徹してゆく道である。後文に挙げている「一心一切法一切法一心」の読解と通じてゆく道である。

 

 「心牆壁あり、いまだ泥水せず、いまだ造作せず。」これはもともと慧忠国師のことばによる。「僧問う、如何なるか是れ古仏心。慧忠国師いわく、牆壁瓦礫しょうへきがりゃく。」空の場においては、古仏の心も牆壁瓦礫の一つ一つも、絶対否定のゼロ点を介して互いに相入関係(逆対応)になる。そこでは古仏の心も、牆壁瓦礫の一つ一つに円融して、牆壁瓦礫のいちいちの絶対的唯一的な真実の個物になること、これを「尽十方界牆壁瓦礫」という(正確には尽十方界牆、尽十方界壁、尽十方界瓦、尽十方界礫)。だから空の場を離れたふつうの牆壁瓦礫のように、泥に水を混ぜて造られたものではない。(「いまだ泥水せず、いまだ造作せず」)

 これで「即心是仏」の解釈は一応済んだが、「百草」も「三界」も「公案」も「牆壁」も、「即心是仏」の一字一字に自由に取り換えて言うこともできる。空の場においてはすべてが無自性で、本文中の「仏百草」「即公案」「是三界」「心牆壁」を例えば、「即百草」「仏公案」「心三界」「是牆壁」というように、どのようにでもこれを各々入れ替えて続けて解することができる。しかも「即心是仏」の四文字のうち、どの一文字からも唯一的な絶対中心になることによって、他の文字を自由に主従関係に置くことができる。例えば、「即」の一字を絶対中心とすれば、他の三文字は「即」の一字に即融円融して「即」の中心的一字のもとにあって、それを支えることになるわけである。だから「即心是仏」の即も心も仏も是も、みな尽界・法界・尽十方界で底が抜けているのだ。これが「尽十方界真実自己」の参究になる。

(七)

あるひは「即心是仏」を参究し、「心即仏是」を参究し、「仏即是心」を参究し、「即心仏是」を参究し、「是仏心即」を参究す。

 前文までは、法住法位の不回互で各々独立の動的関係にあったが、この一文は反対に変転自在に円融した、法超法位の回互的関係にあることを示している。円融の上から言えば、どのようなところに住してもよい。「それだから一仏一仏がどのように入り組んでも、どのようにその位置をかえても、その位置、位置にあまんずることができなければ、衆生済度をすることはできない。」(『全講』)

 

かくのごとくの参究、まさしく即心是仏、これを挙して即心是仏に正伝するなり。かくのごとく正伝して今日にいたれり。

 「かくのごとく」とは、「回互と不回互と、参と同と、区別と平等と、まことにそれがよく調和する。その参究だ。それはまさしく釈迦牟尼仏が弟子の迦葉尊者につたえたのではない。師匠があって、それが弟子に伝えられたのではいかぬ。」(『全講』)

 まさしく「即心是仏、これを挙して即心是仏に正伝するなり。」とは、「即心是仏」とはこういうことだと、そのときその場をはずさず、間髪をいれずに師匠の「即心是仏」が弟子の「即心是仏」にさずけるのだ。これが「将錯就錯」だ。師匠と弟子とが二面裂破してともに「即心是仏そのもの」となり、「即心是仏そのもの」が思わず言葉となってあらわれてくる。この真実の逆説(無分別の分別・不言の言)を「将錯就錯」というのだ。

 くり返し言うことだが、「即心是仏」とは世界内の師匠と弟子の間の次元ではなく、両者の主体が絶対否定された空の場における「即心是仏」と「即心是仏」との互いの相入円融の関係である。「以心伝心」が「以心伝心」にとどまっている限り、それも一種の人間のはからいである。そのような人間次元のいかなるはからいをも超えた「即心是仏そのもの」のはからい(「不言の言」)、つまり、「即心是仏ぎり」となること、それが「まさしく即心是仏、これを挙して即心是仏に正伝するなり。」それが「錯の一法究尽」としての「将錯就錯」である。これを「正伝」というのである。「かくのごとく正伝して今日にいたれり」である。

(八)

いはゆる正伝しきたれる心といふは、一心一切法一切法一心なり。このゆゑに古人いはく、「若人識得心、大地無寸土(若し人、心を識得せば、大地に寸土無し)。」しるべし、心を識得するとき、蓋天撲落がいてんぼくらくし、迊地裂破そうちれっぱす。あるいは心を識得すれば、大地さらにあつさ三寸をます。

 この正伝しきたれる心とは、後文の「即心是仏、不染汚即心是仏なり。諸仏、不染汚諸仏なり。」というところまで続いている。

「いはゆる正伝しきたれる心といふは、一心一切法一切法一心なり。」

 実はこの一文が「即心是仏」の巻を正しく解読するための重要な鍵になっている。というのは、端的に「一即一切」「一切即一」というテーゼは、仏教のみならず、古代ギリシアソクラテス以前から中世のキリスト教イスラム教、そして儒教老荘思想に至るまで、宗教思想の根本にして根源にかかわる重要な問題だからである。

 今までのところでインドの先尼外道や中国の南方地方の仏教に広まった「心常相滅」の思想は、正法としての仏教思想以外の西欧思想一般にも見られる共通の思想傾向である。つまり「一即一切」「一切即一」という思想の根源に関わるこのテーゼは、正法の仏法と他の宗教思想との間では異なる意味を含んでいるのである。その質的違いは端的に言えば、正法としての仏教以外の諸思想の根本であるこのテーゼ(「一即一切」「一切即一」)が、(存在者)の体系による観想の立場から解されるものであるのに対し、正法の仏法のそれは、どこまでも「有即無」「無即有」という空の立場から解されるのである。換言すれば、前者の「一即一切」「一切即一」の「一」も「一切」もともに対象的な有として、意識的な自己によって観想された思想なのである。それによってすべての存在するもの(一切)が一つの中心(円の中心=絶対的一)に統一され集められた世界である。そこでは絶対的一に収斂しない、万有の多と差別とを捨象したようなものとして考えられている。

補注:

尤も現代の西洋思想は、今までの西洋思想史からみると、ニーチェ以来、むしろ実体的な存在秩序に対する疑問や批判から、その存在解体(無化)の思想が急速に勢力を増し、実存主義を経て、現代のポスト・モダン哲学に至っている。その点で仏法の空の根本思想に近づいていると感じられるのは見逃すわけにはゆかないと思う。

 それに対し正法としての仏法は、空の立場から一切法の一々のそれぞれが、いかなる例外も、いかなる捨象もなくその「如実なる有」(イマ・ココに現前しているありのままの有り方)において絶対に独立独自の唯一的存在でありつつ、同時に一切のものが互いに主となり従となるという回互的相入関係をなしている。こういう関係が成り立つのは、空の場において、すべてが無自性的に、「有即無、無即有」という無限に開けた自由の内にあるからである。空の場に働く動力学的弁証法が「絶対否定即絶対肯定」として、自己に直接的に回互的相入関係をなしているのは、根本的に人間主体の絶対否定のゼロ点においてはじめて可能なのである。この絶対否定のゼロ点(無)になりきることによって、却って真の有が絶対肯定的によみがえるのである。それは人間主体に即していえば、「大死即大活」ということである。この空の場において、イマ・ココに現前する個としての有は、いかなる他にも代えがたい、絶対的に独立した唯一的な如実の個として働くのである。

 これは仏法の行的読解において大変重要な行文なので、後文に先立ってこの「正伝しきたれる心」について改めて言い直してみるなら、この「心」とは、「仏心」・「心性」・「実相」という意味であり、「仏性」・「真空」・正法眼蔵涅槃妙心・摩訶般若波羅蜜多と同意である。それは非対象的な無自性として、「有即無」「無即有」あるいは「有常即無常」「無常即有常」また「一刹那即永遠の絶対現在」として、そのつど絶対自由の純活動をなしている。従ってそれは、単なる理念的固定的な理体ではなく、個々の独立したイマ・ココの存在の根底にあって、この心(一心)とこの独一的個の存在事実とその個のもとに摂められた一切法(世界)とが動的な一としてあるという事態である。空の場においては、心も個も一切法としての世界も、それぞれ尽十方界の無底の絶対事実なのである。それは空の場における「事事無碍法界」を意味している。この「心」のもと、いわば「真空の場」において(注)、絶対無の一心と、自己を含めた独立無二の絶対中心(主)としての個的存在と、そのもとに摂められた(従としての)世界(一切法)の存在とは、同時的である。「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時々なり。」(「有時」の巻)

注:「一心一切法」の「一心」は、正法の空の場としては何らかの固定的実体や原対象を意味するのではない。それはそれらを超えて、どこまでも無底的な非対象的な絶対無である。それは根源的開け、絶対自由の開けである。

 ここまでの処は非常に複雑で容易に解し難いが、我々の自己のゼロ点に立脚して、そこから空の場の動力学の自由な展開を見れば、容易に理解されるはずである。たとえ理解が困難であっても、後文の参究を続ける中で、それも解消されるものと思われる。「いはゆる正伝しきたれる心といふは、一心一切法一切法一心なり。」という重要な一文の意味の参究は、「応無所住而生其心おうむしょじゅうにしょうごしん(応に所住無くして、而も其の心を生ず)(「金剛般若経」)の中の、「応無所住」が「一心」、「而生其心」が「一切法」だ。しかもここに含意された一心と一切法との回互的関係にもとどまらずそれをも超えて、最終的には不回互的に尽界一心・尽界一切法のいちいちに究極するのだ。

 「このゆゑに古人いはく、「若し人、心を識得すれば、大地に寸土なし。」」これは空の場からの説示である。しかも心を尽界の中心(主)とすれば、大地は心のもとに従として相入して微塵の土もない。従って一心一切法という必要もなし。不回互的に一心のみ。尽十方界一心のみだ。しかし空の場では、「絶対否定即絶対肯定」の回互的相入の動力学的関係だから、ひっくり返して「識得大地全身無寸心」。一寸の心もない。そのときは尽十方界大地のみだ。これで大地と心と全く絶対矛盾的自己同一だ。

 「しるべし、心を識得するとき、蓋天撲落(天のこらず心の中にぶち落ちて、蓋天が心きり)し、迊地(大地のこらず)裂破(ぶっ裂ける)す。」心そのものとなって心を会得すれば、尽十方界心ぎりということ。心のほかに一切法(大地)なし。心の不回互性だ。心が常住であれば、一切法(全世界)が常住だ。身(個)と心(心性)と世界(土)と一つ。「身土不二」ともいう。だから「心常相滅」はない。

 「心を識得すれば、大地さらにあつさ三寸をます。」空の場からだから、「心を識得す」ということは、心のゼロ点である絶対否定に徹すれば、逆に大地の絶対肯定が現成する。それを「大地さらにあつさ三寸をます(大地が三寸たかくなる)」と表現したわけである。尽大地のみということ。つまり「尽心」も「尽地」も絶対矛盾的自己同一。それぞれ事事無碍法界である。

(九)

古徳いはく、作麽生ならんか是れ妙浄明心。山河大地せんがだいち、日月星辰にちがつせいしん

 ここで「古徳」とは潙山の問いに対して仰山の応答である。これは理性の立場からの主語と述語の問答に尽きない。やはりこれも空の立場からの無自性による互いの相入関係だと見なければならない。前文で「心を識得すれば、大地さらにあつさ三寸をます。」という言葉に対応する。まず潙山の「作麽生ならんか是れ妙浄明心」の「作麽生ならんか是れ」は、いかなることが妙浄明心(大清浄なる心、仏祖の心)と尋ねたように聞こえるが、そうではなく、いかなるものもみな「妙浄明心」だ、だから「即心是仏」からいうと、「心」を絶対中心にしたとき他の「即」も「是」も「仏」も「心」のもとに摂められてただ「心」のみ、いかなるものも「妙浄明心」の一法究尽だ。ところが、それは空の場の相入関係によって、逆説的逆対応的に「山河大地、日月星辰」のみだ。ともに無自性であるから妙浄明心と山河大地・日月星辰の仕切りがとれてしまう。それが「一心一切法一切法一心なり」だ。しかしこの「一心一切法一切法一心」という回互性は、尽界一心(妙浄明心)と「いまここ」に現成する尽界山河・尽界大地・尽界日月・尽界星辰、つまり尽界一切法の一々の絶対的事実との回互性を意味する表現となるのだ。

あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。しかあれども、この道取するところ、すすめば不足あり、しりぞくればあまれり。

 この一文、どこに立って「あきらかにしりぬ」なのか。繰り返しいうことだが、これは世界内の理性の立場から発言しているのではない。どこまでも空の場に立って、一切無自性の相互の相入関係(逆対応的関係)の動力学からの回互・不回互の表現である。だから、本文「心とは山河大地なり、(心とは)日月星辰なり。」は回互的相入関係の表現だ。「しかあれども、この道取するところ」というのは、相互の回互的関係にとどまることなく、不回互的関係に徹底すること。だから「すすめば不足あり、しりぞくればあまれり」とは、行的表現として「一方を証するときは一方はくらし」「すすめば」とは「心を主として心を証するとき、」一切法(山河大地・日月星辰)はくらし(「不足あり」)。「しりぞくれば」とは「心が他方(山河大地・日月星辰、つまり一切法のこと)に従となって蔵身すれば、ということ。だから互いに回互から不回互への転換である。「尽界心」に逆対応の「尽界一切法」である。その場合は、一切法のみ(「あまれり」)

山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし。生死去来心は生死去来のみなり。さらに迷なし、悟なし。牆壁瓦礫心は牆壁瓦礫のみなり。さらに泥なし、水なし。四大五蘊心は四大五蘊のみなり。さらに馬なし、猿なし。椅子払子心は椅子払子のみなり。さらに竹なし、木なし。かくのごとくなるがゆゑに、即心是仏、不染汚即心是仏なり。諸仏、不染汚諸仏なり。

 以下の文言は、みな空の場から、心と一切法(世界)と逆対応的に一つ、それから文言の表面には表現されていないが、個々の実在に即して、事事無碍法界が含意されているのである。そしてそれらが、「心常相滅」の外道見(二見分別)でないことも肝に銘じておかなければならない。

 まず、「山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。」「山河大地心」とは空の場における「山河大地」と「心」と相入関係を意味するから、山河大地(世界)に心は相入円融して、「山河大地のみなり」尽界山河大地のみ、ということ。もちろん尽界も山河大地に円融してその外に尽界もなし。だから尽界のうちの「波浪」も「風煙」も「さらになし」である。文言には表されていないが「山河大地」という世界と「山」と「河」と「大地」とは互いに相入する主従関係をなして、イマ・ココに現成する「絶対の山」「絶対の河」「絶対の大地」として、「世界」と一であり、「心」と一である。

 「日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし。」これは前文と同じ発想。つまり「日月星辰」(世界)と「心」と一、日月星辰の外にそれ自体として「きり」も「かすみ」も「さらに(全く)なし」である。イマココに現前する個々の日と月と星辰の絶対的存在も、心と世界と一である。後に続く文言も全く同様である。「生死去来心は生死去来のみなり。さらに迷なし、悟なし。牆壁瓦礫心は牆壁瓦礫のみなり。さらに泥なし、水なし。四大五蘊心は四大五蘊(注1)のみなり。さらに馬なし、猿なし(注2)。椅子払子心は椅子払子のみなり。さらに竹なし、木なし。」前文と同様の発想なので、これ以上の説明は省くが、それぞれすべてに解脱の自己が含まれているのである。要は心と世界と個々の実在とは一であって、「心常相滅」という二見分別の外道見にあらず。

注1:「四大」とは、地・水・火・風の四元素、人体もこの四大からなる。

    「五蘊」とは、色・受・想・行・識の五種の集まり。人間の肉体と精神の集合体をいう。

注2:「意馬心猿」 欲情で心が惑い、抑えつけられないこと。

 「かくのごとくなるがゆゑに、即心是仏、不染汚即心是仏なり。諸仏、不染汚諸仏なり。」即心是仏は即心是仏きり。「一心一切法一切法一心」とはまだ回互的で二見分別の跡が残っている。「理事無碍法界」も同様である。従って「一心は一心きり」「一切法一切法きり」という不回互の一法究尽の「事事無碍法界」に究尽するが、しかもなお「信心銘」(三祖僧璨)には次の四句があって、全編の骨子となっている。

二は一によって有り

一もまた守ることなかれ。

一心生ぜざれば。

万法咎とが無し。

「有無などいう二は元来絶対一または絶対無のゆえに有るのであるが、この一も一として守られてはならぬ。そうすると、一はまた二となる。一心さえも生起してはならぬ。それがなければ万法――個多の世界――はそのままでなんらの過失もないのである。現実の世界はそれなりに肯定してよいのである。」(鈴木大拙『禅の思想』春秋社)  つまり「絶対的一」または「絶対無」あるいは「絶対空」の対象化からも脱落して、絶対自由の世界を生きるのである。

補注:

この一例は、趙州の有名な公案(『碧巌録』第45則)が参考になる。

問う「万法一に帰す、一何いずれの処にか帰する。」

州いわく、「我れ青州に在りて一領の布衫※を作る、重きこと七斤」  ※ふさん。一枚の布

仏法は一領の布衫として一法究尽的に現成していて、塵々三昧の「布衫のみ」であるが、この一領の布衫でさえ、空においては、固定化され、停滞化されるべきではなく、無窮の否定による刻々新しい「事」の現場の現実が常に動的に働いている。(拙著『正法眼蔵「仏性」参究』401-2頁参照) その無窮の否定と肯定が、ここでいう「不染汚」の意味である。

「即心是仏、不染汚即心是仏なり。諸仏、不染汚諸仏なり。」

「ただ此の不染汚、是れ諸仏の所護念なり、汝もまた是の如し、吾もまた是の如し、乃至西天の諸祖もまた是の如し」(「行仏威儀」の巻 六祖が南嶽に言った語)

(十)

しかあればすなはち、即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず。

 これは、「心常相滅」だけでなく、心が慮知念覚の意識そのものを意味している外道説に対してもその反論を挙げている。仏法のいう「心」とは、そもそも世界内の意識のことではなく、世界の存在の根底に無限に開けた空に全身心をもって直接する三世ぶっ通しの心性のことであった。それを仏心とも仏性ともいう。その心は「空における無自性の心」として、断絶しながら相続する、生滅しながら連続する意味では、非連続の連続である。これもくり返して言うことだが、「即心是仏」とは「即」も「心」も「是」も「仏」もその一々が空の場における無限に開かれた絶対自由の活動であって、それは「同時の発心・修行・菩提・涅槃なるべし」(「発菩提心」の巻) 言い換えれば、それは人間の作為によるものではなく、即心是仏が自ら発心・修行・菩提・涅槃するので、人間主体の絶対否定に働く絶対肯定の働きである。「学道用心集」(第三)に、「是れ仏の強為に非ず、機の周旋せしむる所なり」とある。機とは人間主体が自己の絶対否定において即心是仏の中に入り、即心是仏が即心是仏になって発心・修行・菩提・涅槃する。(菩提とはさとりのこと、涅槃とは入滅の意味と衆生済度の意味がある。)それは仏と衆生と最初から分けておいて、仏が一方的に働くのではなく、どこまでも衆生自身の絶対否定によるゼロ点において、はじめて即心是仏が即心是仏として働く、それを「機の周旋(世話をする)せしむる所なり」という。

 「いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず。」「いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざる」とは、自己の全身心を投ずるのではない、外道見にいう観念論的な意識活動のことで、それは戯論の域を出ない。そして「我々の自己」は、「発心・修行・菩提・涅槃の諸仏」とともに、空の場における「自己のゼロ点」における働きであるから、「即心是仏」の釈意と同様、発心・修行・菩提・涅槃の一々はどこからでも主従の相入関係の動力学として、同時的に共に働くのである。

たとひ一刹那に発心修証するも即心是仏なり、たとひ一極微中に発心修証するも即心是仏なり、たとひ無量劫に発心修証するも即心是仏なり、たとひ一念中に発心修証するも即心是仏なり、たとひ半拳裏に発心修証するも即心是仏なり。しかあるを、長劫に修行作仏するは即心是仏にあらずといふは、即心是仏をいまだ見ざるなり、いまだしらざるなり、いまだ学せざるなり。即心是仏を開演する正師を見ざるなり。

 ここは特別の解説を要しない。「刹那」「無量劫」「一念中」も、発心修証の時間の長短を問わず、「一極微中(芥子粒を何万かに砕いて、目に見ることができないほど細かに分割されたもの)」「半拳裏(握りこぶしを半分作る間)」ものの大小にかかわらず、世界の方からいっても時間の方からいっても、場所に関わらず発心修証する処ただちに即心是仏である。「自未得度先度他の一念をおこすがごときは、久遠の寿量、たちまちに現在前するなり。」(「発菩提心」の巻) とあった。この一念は自己のゼロ点の一刹那として、「久遠の寿量たちまちに現在前するなり」この信心に徹してゆくことだ。「もし如来正法眼蔵涅槃妙心をあきらむるがごときは、かならずこの刹那生滅の道理(一刹那の道理)を信ずるなり。」(同上) 「坐禅と悟りとのぐるぐるまわりで、未来永劫に坐禅の坐をたつことがない。いくどもいくども悟るのだ。その一切の時、一切の場所の発心修証、それが即心是仏だ。」(『全講』) 「しかあるを、長劫に修行作仏するは即心是仏にあらずといふは、即心是仏をいまだ見ざるなり、いまだしらざるなり、いまだ学せざるなり。即心是仏を開演する正師を見ざるなり。」悟りとは一度きりだという説が世間に広まっている。禅仏教でも親鸞教でも同様にいわれているが、これはどう解したらよいであろうか。「発菩提心」の巻には以下のように説かれている。この説示は繰り返し繰り返し拝読参究して深く感銘すべきものである。「一発菩提心を百千万発するなり。修証もまたかくのごとし。しかあるに、発心は一発にしてさらに発心せず、修行は無量なり、証果は一証なりとのみきくは、仏法をきくにあらず、仏法をしれるにあらず、仏法にあふにあらず。千億発の発心はさだめて一発心の発なり。千億人の発心は、一発心の発なり。一発心は千億の発心なり、修証転法もまたかくのごとし。」

 「即心是仏」は無際限の発心修行菩提涅槃である。これは一途に自己の「絶対否定即絶対肯定」である空の場所においてのみ成立可能なのだ。学道者としてはつねに不退転の発心修行菩提涅槃の自覚がなければならない。実に強く感銘するのは、道元禅師ご自身の自省のことばである。「おほよそ退大(大乗を退失して二乗に堕ちること)のものおほきがゆゑに、われも退大とならんことをかねてよりおそるるなり、このゆゑに菩提心を守護するなり。」ここまでくると親鸞聖人のいわれる二種の深信と通底する「即心是仏」の道があるように思われる。念仏同様に打坐によって罪障のままで解脱できる無条件の道が開かれているということである。(参照 小論「罪障観における道元禅と親鸞教とのあいだ」(当ブログ))

補注:

以下はこの点について我々にとって大変重要なことなので、少し長いが、「発菩提心」の巻を引用して、共に参究する読者の資とならんことを願う次第である。

 

「発悟すといふは、暁了ぎょうりょう(さとること)なり。これ大覚(仏世尊)にはあらず。たとひ十地を頓証せるも、なほこれ菩薩なり。西天二十八祖、唐土六祖等、および諸大祖師は、これ菩薩なり。ほとけにあらず、声聞辟支仏等にあらず。いまのよにある参学のともがら、菩薩なり、声聞にあらずといふこと、あきらめしれるともがら一人もなし。ただみだりに衲僧・衲子のっすと自称して、その真実をしらざるによりて、みだりがはしくせり。あはれむべし、澆季ぎょうき祖道廃せること。」

 

「いまわれら如来の説教にあふたてまつりて、暁了するににたれども、わづかに怛たん刹那(注)よりこれをしり、その道理しかあるべしと信受するのみなり。世尊所説の一切の法、あきらめずしらざることも、刹那量をしらざるがごとし。学者(学道者)みだりに貢高こうこう(おごり高ぶること)することなかれ。極少をしらざるのみにあらず、極大をもまたしらざるなり。」

注: 120の刹那を一怛という。120の刹那はおよそ二弾指のあいだ。それからは凡夫にもわかるという。

 

「もし一刹那この菩提心をおこすより、万法みな増上縁(その力を増長させる縁)となる。おほよそ発心・得道、みな刹那生滅するによるものなり。もし刹那生滅せずば、前刹那の悪さるべからず。前刹那の悪いまださらざれば、後刹那の善いま現生すべからず。この刹那の量は、ただ如来ひとりあきらかにしらせたまふ。一刹那の心、能く一語を起し、一刹那の語、能く一字を説くも、ひとり如来のみなり。余聖(他の聖道を証した人)不能なり。」

(十一)

いはゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏これ即心是仏なり。過去・現在・未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是仏なり。

 最後の結文であるこの文章は、一見すると諸仏は、歴史的存在としての仏教の教祖である釈迦牟尼仏に代表され、あらゆる三世の諸仏は、釈迦牟尼仏に帰結されると読了したように思われる。しかしその読み方は、ことばに表現された限りの文面のみから意を解する読み方であって、なぜそこにわざわざ「即心是仏」ということばを二度用いているか、その真意を本当に解したことにはならない。この巻の全文の表題「即心是仏」が、どこから言われているのか、そのことばの根底にまで立ちかえって読み直してゆかねばならない。それは何度も言い直すことだが、前文と同様、この一文も空の立場から読み直すこと、行の立場から参究するのでなくてはならない。その空の立場に立ったとき、肝心の「即心是仏」と三世諸仏の存在と一仏としての釈迦牟尼仏との関係性が視野に入ってくるのである。全体が空の立場から見られるとき、一切法は無自性としてどこからでも主従関係を自由にする相入関係性(いわゆる西田哲学でいう絶対否定を媒介とする逆対応的関係)にあった。従って、三世の諸仏は結局一仏に帰するということは、「空」(摩訶般若波羅蜜多・実相・仏性・仏心)と、三世諸仏全体を摂する「世界」と、個仏としての釈迦牟尼仏(詳しく言えばイマ・ココに現成する一刹那即永遠としての久遠釈迦)とが、一であるということである。個仏としてイマ・ココに現成する釈尊は、天上天下唯我独尊の釈迦牟尼仏なのである。この釈迦牟尼仏は、歴史的に実在した発心・修行・菩提・涅槃の応身仏(現身仏)であると同時に、法身仏にして報身仏である限り、三身即一の絶対的な一仏としての「久遠釈迦」なのである。この絶対的な一仏としての釈迦牟尼仏は、他の諸仏の一々と同様不染汚(絶対待)に由っている。くり返して言うことであるが、いわゆる諸仏不染汚諸仏とは諸仏の一々のイマ・ココに現成する個仏が不染汚仏であり、仏法には一仏を挙げるとき諸仏の不染汚の道理として悉く一仏に帰するとき、その一仏は一仏のままで一多の数を離れた「即心是仏」である。過去現在未来の三世の諸仏はみな不染汚なるが故に、どの諸仏からも一仏に帰するわけだが、現実の仏教の歴史的教祖の存在として、釈迦牟尼仏が特に天上天下唯我独尊の釈迦牟尼仏として崇められるのである。しかしそれは、現実的なイマ・ココの我々の自己自身の外に対象としてある釈迦牟尼仏だというより、釈迦牟尼仏のみならず一切の諸仏が行的な我々の自己の下に既に実在する限り、究極的には天上天下唯我独尊としての釈迦牟尼仏は、このイマ・ココに現前する我が自己自身に(端的に正身端坐の行的な自己自身に)帰着して初めて生きた現実的釈迦牟尼仏なのである。

まとめ

 ここで、何度も繰り返す説示となるが、今まで長引いた最後の総括として、以下のように結論づけて、拙い筆を擱くこととする。一体、「即心是仏」の巻において、二見分別の主体の絶対否定である実在的な行的立場とは何か。それは一切がそこからそこへと帰一する空の立場、厳密に言えば「真空妙有」の立場に立脚しなければならないということである。(西田哲学では「絶対無の場所」の立場だといわれている。)

 それでは「真空妙有」の「空の場所」とは何か。その解明は『正法眼蔵』の本文を根底から本質的に読解し参究する根本的問題である。今空の立場とは一切がそこからそこへ、つまり一切がそこから生起しそこへ帰結する我々の自己のイマ・ココの直下に現前する根源的事実である。この原事実を抜きにしては、すべてが虚妄に化してしまうという、最も根本的本質的な不可欠の問題である。それは決して二見分別の対象にはならぬ、逆説的に空間的に言えば自己よりも此岸的な絶対此岸の事実であり、時間的に言えば、過去現在未来の三世の順序を崩すことなくそれらを一とする「絶対現在」である。それは我々の自己のもとに直接せる内在的超越であり、「直身なり、直心なり、直身心なり、直仏祖なり、直修証なり、直頂寧なり、直命脈なり」(「三昧王三昧」の巻)と「直」をもって立言した結跏趺坐の身心脱落の実在の行に具体的に示されるものである。この内在的超越としての空の場所(絶対無の場所)においては、一切は無自性の自性として「無即有」「有即無」である。「般若心経」の「色即是空・空即是色」の色は、(色の自性・とらわれの)絶対否定によって、同時に逆説的に絶対肯定としての如実の個の存在として現前する。この如実の個の存在の成立は、感性的知覚の立場や理性的思惟の立場からは成立不能であり、ただ空の立場からのみ成立可能なのである。三世十方に「即心是仏」ならぬ諸仏あることなし。

「一多量滅して、即心是仏の道環(相入関係)に帰し了る。」(「私記」)

「即心是仏とはそれ誰れをかいふ、人々(我々各自の自己自身)これ三世の諸仏にはあらざるか、釈迦牟尼仏豈に汝にあらざるなからんや。」(『正法眼蔵講義』神保如天)

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総注:

以下の説示は、外道見の「心常相滅」ではなく、正法としての仏法の真実を示す公案二例を挙げて読者の参究に資するものとする。

 一つは「劫火洞然とうねん(注1)として大千(注2)倶に壊す。未審いぶかし這箇しゃこ壊か不壊か。」大隋だいずい(注3)いわく、「壊。」僧いわく、「恁麼ならば則ち他に随い去るや。」大隋いわく、「他に随い去る。」また僧あり、竜済りゅうさい(注4)に問う、「劫火洞然として大千倶に壊す。未審し這箇壊か不壊か。」竜済いわく、「不壊。」僧いわく、「甚なんと為てか不壊なる。」竜済いわく、「大千に同じきが為なり。」(『従容録』第三十則)

注1:「劫火洞然」『仁王経』護国品五にあり。世界が成住壊空の四劫のうち、

    壊劫(世界の壊滅する時期)には大火災が起こって世界が一度に壊滅すること。洞然は火の熾んなるかたち。

注2:「大千」三千大千世界の略。宇宙の意。

注3:大隋法真(834-915) 長慶大安の法嗣。

注4:竜済紹修(不詳) 唐末五代の頃の人。地蔵桂琛の法嗣。脩山主ともいう。

 この公案は、「心常相滅」の考えをもつ僧からの問いに答えたもの。応答する大隋も竜済も、ともに空の場から答えていることが肝要。空の場においては這箇(仏心・仏性)も大千(世界)も無自性にして、「有即無」「無即有」の主従関係を自由にする相互の相入関係にある。従って世界が焼尽(壊)する主の時は「這箇」は世界のもとに従となって相入し(「他に随い去る」)「壊」となる。同じ問いに「這箇」の「壊」ではなく「不壊」と答えたのは、「這箇」の「不壊」が主となり、「這箇」の「壊」も「世界」の「焼尽」も従となって世界そのものは無自性として「這箇の不壊」に相入して(随って)「不焼尽」となる。つまり「相(世界)滅心(這箇)滅」あるいは「心常相常」として尽界一法究尽。問う僧の外道見(心常相滅)の対待二見と異なる。

 次の公案は、『全講』中に挙げられたものである。

聞見覚知もんけんかくち一一に非ず。山河は鏡中に在って観ざれ。霜天月落ちて夜将まさに半なかばならんとす。

誰れと共にか澄潭ちょうたん影を照らして寒き。 (『碧巌録』第四十則の頌)

 この頌は碧巌百則中の絶唱だと古来から言われている。「聞見覚知一一に非ず」諸感覚(色・声・香・味・触の各覚識)が一々に特殊化されて分かれる以前に、空の場の無限の開けに直接する原初的感覚知がある。それを「純粋経験」とも「直接経験」とも言われている。その空の場では「山河は鏡中に在って観ざれ」イマ・ココに現じているありのままの山河は、主客能所の二見以前の真実の山河であって、そこには解脱の自己も含まれた尽界の山河、尽十方界真実の山河ぎりである。それに直接するには「もの」を決して対象化して観ようとしてはならない。「霜天月落ちて将に半ならんとす」真冬の凍てつくような霜天の真夜中、月落ちて黒闇々、寂然として一物もない人境倶亡の絶対無の世界。これは空の場における絶対否定の世界である。「月」は心性、「人境」は万法の世界の様相、つまり「心滅相滅」のこと。しかし空の場は、単に絶対否定(大死)の世界だけではなく、同時に、それと絶対矛盾する絶対肯定の世界が表裏一体としてあるのである。それをこの第四十則の「垂示」には「休し去り歇けっし去って、鉄樹花を開く」(大死一番絶後に蘇って大活現成のたとえ)と言っている。つまり、「誰と共にか澄潭影を照らして寒き」我も共なる誰も澄潭(澄みきった池)も月の光に一切が皓々こうこうと照らされた寒空の底なしの世界。月のない暗黒の厳しさが「心滅相滅」の世界。皓々とした中秋の月の世界が「心常相常」の世界である。その両者が自己のゼロ点に開かれた空の場所において一つである世界を表現しようとしているのである。これも「心常相滅」の外道見を批判しているのである。

 

罪障観における道元禅と親鸞教とのあいだ

罪障観における道元禅と親鸞教とのあいだ              唐子正定 2022.8       

 

道元禅師の罪障観と衆生済度           

 以下のことばは、『正法眼蔵』「行仏威儀」中の道元禅師の独特な罪障観と徹底的な衆生済度の説示が示されていて非常に難解である。

諸仏いはく、此輩罪根深重しはいざいこんじんじゅうなり、可憐憫者かれんみんしゃなり。深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり。この深重担、しばらく放行ほうあんして著眼観ぢゃげんかんすべし。把定はちんして自己を礙すといふとも、起首にあらず。いま行仏威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるるに、拕泥滞水の活路を通達しきたるゆゑに無罣礙なり。上天にしては化天す、人間にしては化人す、華開の功徳あり、世界起の功徳あり、かって間隙なきものなり。このゆゑに自佗に逈脱けいだつあり、往来に独抜あり。

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〇はじめに

 まずこの行文参究の前に、道元禅師自身の立脚している正法眼蔵の立場をしっかりと会得しておかねばならない。ここに掲げた本文中の前文には、以下のような説示が見出される。

「行仏の威儀を覰見ちょけんせんとき、天上人間のまなこをもちゐることなかれ、天上人間の情量をもちゐるべからず。」

「ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量せる家門、かれこれともに仏子と許可することなかれ。これただ業報の衆生なり。いまだ身心の聞法あるにあらず、いまだ行道せる身心なし。」

ここには「仏法」と「人法」との対比があって、仏法は人法では把捉できないということが語られている。その仏法とは何か、ここでは「行仏の威儀」とあって端的には「只管打坐」に代表される。それは「身心の聞法」「行道せる身心」であって、単なる人間の感性や理性の立場による「業報の衆生」の業作ではない。業報とは衆生の我執による主客能所の二見分別の作為の世界であって、人間の理性がいかに主観的要素を否定した普遍的立場だといっても、二見分別を超えた究極の立場ではない。仏法とは空の場の般若智や大悲心の立場であって、渾身心による聞法であり、一方究尽の三昧的行道である。総じていえば、仏法と人法との根本的相違は、人間主体が絶対否定されて自己のゼロ点(これが仏法の原点である)において「もの」と「自己」との逆対応的関係が成り立つ処である(注)。この点を念頭において以下の本文を読むこととする。

(注)

「行仏威儀」の巻には、「仏縛といふは菩提を菩提と知見解会する、即知見即解会に即縛せられたるなり」とあった。「菩提をすなはち菩提なりと見解せん、これ菩提相応の知見なるべし。たれかこれを邪見といはん。」これが理性の立場である。ところが仏法は、理性自体のとらわれをも脱して、「菩提は菩提にあらず、故に菩提なり」という背理と逆説に徹してゆく(即非の論理)。つまり、「菩提即煩悩・煩悩即菩提」という絶対矛盾的自己同一に帰する。

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 諸仏いはく、「此輩罪根深重なり」は、本文中では前文「ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量せる家門」の人間理性の立場から、「凡夫外道の本末の邪見を活計して、諸仏の境界とおもへるやから」を指すが、もともとこのことばの出典は『法華経』「方便品」中の以下のことばによる。「舎利弗が世尊に対して三たび説法を懇願したので、世尊が此の語を説きたまう時、会の中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の五千人等ありて、即ち座より起ちて仏を礼して退けり。所以ゆえは何いかん此の輩ともがらは、罪根深重にして、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂おもい、未だ証せざるを証せりと謂えり。かくの如き失とがあり。ここを以て住せざるなり。世尊は黙然として制止したまわず。」「退くも亦また可なり」とも言われたという。また、「可憐憫者なり」は、『楞厳経』から取り入れたもの。 

 さて、「諸仏いはく」つまり以下のことばは、諸仏の立場に立たなければ言われない大悲心のことばである。「此輩(この連中)の罪根(人間存在の根源に働く無限衝動としての根本無明)深重なり。可憐憫者なり(罪根深重からも脱落する道の開けているにもかかわらずそれに気づかぬ気の毒な連中だ)。」といわれる。ここで以下の説示は、この「罪根深重」とは何か、その真実の参究が求められている。

 「深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり。」この「深重の罪根」は、前文にあった、此輩の本末等の断常の邪見・悪見・顚倒の見解の生起がそこから成り立つ人間存在の根源に働く根本無明を意味する。この根本無明とは、自己存在の根源に働く人間の自己中心性であり、身口意の三業に働く自己内閉鎖的な自由意志である。(補注(1)参照)

 さて、「深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり」という本文中、「たとひ無端なりとも」という逆説の表現に注意しなければならない。つまりこの「深重の罪根」が「無端」という無始無終という無限の相にあっても、その無限の相には二つの相反する立場が含まれている。それは虚無と空との立場の二義性である。つまりこの人間の世界、いわゆる「世界-内-存在」としての三界の宿業は無限な相において虚無的事実であるけれども、にもかかわらず刹那に生滅するいまここの時と業作のうちに、始めなき始めと終りなき終りとが同時的だという意味では、絶対現在の空の場のうちにあるのである。深重担の此輩にはこの絶対現在の自得の事実が自覚されていないということである。そこに虚無の立場と空の立場での自覚の分かれ目がある。「行仏威儀」の本文中前文には「仏仏正伝する、大道の断絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨、ひとり仏道のみに正伝せり。自余の諸類、しらずきかざる功徳なり」とあった。つまり「仏仏正伝する大道」は、「断絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨」であった。いいかえれば無始無終の宿業は、刹那生滅のイマ・ココにおいて、根本的な転換点にあったということである。いまここの時と業作の直下に、身心脱落・脱落身心において無始無終を脱落して「一時即一切時」「一切即一」という転換点を意味していたのだ。それを深重担の此輩は自覚していない。つまり、「深重の罪根たとひ無端なりとも、」にもかかわらず、いまここの瞬間において、無端は脱落して始終同時として働いていたのだ。言い換えれば、「不昧因果」即「不落因果」の「即」の立場に立脚していたのだ。無限の相における因果歴然は「即」(同時的に)因果脱落の二重性のうちにあった。「深重の罪根たとひ無端なりとも」という逆説表現は諸仏の立場からの道元禅師の大悲の発言だったのである。そこでは既に深重担から解放され、無碍自在な自由の道が開かれていたのである。従って、くどいようだが、「たとひ無端なりとも」ということばには、文中の「此輩」には、いまここの自己自身の存在の直下において、永遠の生たる絶対自由な空の立場への道が開かれているにもかかわらず、それに逆らってという意味が含まれていたわけである。だから彼らはどこまでも無限衝動による自己中心主義的自己閉鎖的な意志を貫いて、虚無の場の永遠の死への道を進んでゆく輩であり、自ら深重の罪根を背負い込み、自己みずから深重な荷物そのもの(「深重担」)と化してしまっているというのである。「可憐憫者なり」ああ何とあわれな人たちだろうと、心底からの深い大悲心のことばが発せられる。

 次に、「この深重担、しばらく放行して著眼観すべし。把定して自己を礙すといふとも、起首にあらず。」

以上のことばは、道元禅師が「此輩」に向かって、空の場に立って彼ら自身の「深重担」から脱却して、それからの解脱と自由への道を説示しようとしているのである。空の場とは、自己のゼロ点(自己の存在と意識のゼロ点)の動力学的転換点において開かれている。それは「放行」と「把定」との相互に逆対応的な「行」の二方面である。 

 だから本文「この深重担、しばらく放行して著眼観すべし」というのは、吾我の意志意欲の放下による自己のゼロ点に開かれている空の場に立脚して、この深重担そのものをありのままに全身心をもって「著眼観すべし」しっかり見直してみよ、というのである。空の場の自己のゼロ点(吾我の絶対否定点)の転換点に立って、つまり吾我の宿業果である深重担の方からではなく、その転換点に直接する逆対応的な「行仏の方より能々よくよく参学し見るべし」「この深重のすがた、無自性なるうへは、行仏威儀の現前する時、更に不可斉肩と也」(『御抄』)。つまり、「放行」によって行仏の方からこの「深重な罪根」が「行仏威儀の現前」に転換されるというのである。尽界行仏威儀の現前のみで、その外に残すべき罪根なしというのである。不見一法、不可得の行仏威儀の実相のみ。これが、「この深重担、しばらく放行して著眼観すべし」の結果である。

 「把定して自己を礙すといふとも、起首にあらず。」前文の深重の罪根の「放行」によって、深重の罪根は尽界行仏威儀の現前に転換されてしまうのに対し、「把定して」というのは、空の場におけるこの「深重の罪根」の参究である。つまり、深重の罪根の方から逆対応的に自己(行仏上の自己・空の場における自己)をとらえて深重の罪根と一つになり、尽界罪根そのものぎりとなっても、(「把定して自己を礙すといふとも」)その罪根そのものは無自性にしてはじめとなる原因も根拠もない(「起首にあらず」)。つまり空の場においては、罪根は無始無終にして、尽界罪根のみ、罪根の一法究尽、罪根の絶対独立である。そのとき罪根という自性もないのだ。前文において「いまの把捉は放行をまたざれども、これ夢幻空華なり」とあった。把捉は把捉で独立、(逆に放行は放行で独立、)他を待たずして、空の場においてすべて無形相の形相、無自性の自性として現前していることを「夢幻空華」というのである。前述したように、この「夢幻空華」は世間普通の意味でたよりなくはかない単に消極的な意味なのではなく、空の場における転換点の夢幻空華として、行仏威儀の実相真如と表裏一体の逆説的に肯定的な形相である。

「この罪業法性の円融無際、いまにはじめたるにあらざれば、起首にあらずとなり」(『私記』)。つまり空の場においては、罪根にあって(不昧因果)罪根を解脱し(不落因果)、脱落の罪根として法性の行仏威儀の現前と表裏一体である。これは道元禅師独特の罪障観である。

 「いま行仏威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるるに、拕泥滞水の活路を通達しきたるゆゑに無罣礙なり。」これは前の悪見の因縁によって罪根深重担の凡夫に対して、「いま行仏威儀の無礙なる」行仏威儀は常に「いま現前」の話である。その今の行仏威儀の無礙とは、仏を向こうにおいて見るのではなく、自己が絶対否定的に全体行仏にによって行仏そのものになりきって(「ほとけに礙せらるるに」)「拕泥滞水の活路を通達しきたるゆゑに無罣礙なり」「拕泥滞水」とは、水びたし泥だらけになって衆生済度のために同事行に徹すること、いわゆる和光同塵して入仏入魔自在の生き方である。言いかえれば、仏の大慈悲心がみずから衆生となって、七転八倒の苦(拕泥滞水)そのものの直下に出身の活路を見出して自由自在の大道を生きぬくこと、いわゆる「遊戯三昧」の生き方だから、それを「無罣礙なり」という。この衆生済度の同事行は、衆生の迷苦を一身に受けて、苦の現身の直下に苦からの解脱を見出し、みずから「現身即度生」を身をもって衆生済度を実証してゆく道である。 

 次の「上天にしては化天す、人間にては化人す。華開の功徳あり、世界起の功徳あり、かって間隙なきものなり」は、『御聴書抄』の’化’の注解がすばらしいので、そのままここに載せる。

「上天化天の化と云へば、仏は能化の主、天上人間まで化衆生(し)(ふ)とこそ心得るを、今の化と云は、上天を指(し)て化とは云也、人間を指(し)て化と云ふ、故に彼の各々土に能化の仏御おわして化衆とは不可心得、此化は能化所化なき化也、此道理を花開世界起とは被云いわれる也、是れを無間隔とも談(ずる)也、法華経に化一切衆生、皆令入仏道の化をも、やがて(そのまま)衆生を化と心得(る)也。衆生仏を置(い)て、仏衆生を化し給(ふ)とは不心得也。」

要は理性の立場から、仏の能化と衆生の所化との二見分別的な化度を’化’というのではなく、能所の化を超越した絶対的化という大用のうちにすべてが含意されるという禅仏教的発想である。「花開世界起」も花(個物)と世界(場所)との二見分別を超える空の場において「身土不二」の無間隔をいう、「このゆゑに自佗に逈脱けいだつあり、往来に独抜あり。」仏と衆生と、自佗二見の脱落をいい、「往来に独抜あり」は「達磨東土に来らず、二祖西天に往かず」で、身土不二で尽界を指して達磨といい、尽界を指して二祖というのでともに往来を絶した処が空の立場の表現である。

 

補注(1) 根本無明について

 根本無明については、『大乗起信論』では、「忽然念起」という言葉で捉えられている。いつ、どこからともなく、唐突に心の深みに働く妄念の起動の事態をいうのである。「たちまち、そこにものが生起する。ただ忽然と、ものが現れるのだ。何かが認識されるのではない。まだ主体も客体もない原初的状況だから、誰かが何かを意識するということはない。ただ何かが生起するだけ。主客未分、認識以前、前認識的状態である。」(井筒俊彦『意識の形而上学』(中央公論社)) この妄念の初発点としての深層意識を「業相・業識」というのだ。論者によっては、仏教は原罪ともいうべき悪そのものと悪そのものの結果(業報)としての悪との区別がなく混同の余地があるという批判もあるが、その批判は当たらない。前者は「根本不覚」(形而上学的根本的無知)であり、後者は「派生的不覚」という表層的実存不覚であり、「五蓋」(貪欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑。蓋とは心性を蓋覆して善法不能にせしめるもの)と言われているのに対し、前者の根本無明は「第六蓋」と称される。真の仏祖道に至るには、この五蓋のみならず、第六蓋をも脱落した処に開かれ、その具体的行が無所得無所悟の只管打坐である。(参照『宝慶記』)

ついでながら、「直じきに(妄念の)根源を截るも、(本来一切衆生悉有仏性)人未だ識らず、茫々たる業識幾時か休せん」(「正法眼蔵 仏性」)の業識も根源的な深層意識に属し、表層意識に属す情念(愛欲・憎悪・忿恚・侮蔑・嫉妬・懊悩等)としての「煩悩」とは区別される。この「煩悩」は『大乗起信論』では、言語的凝固体としての「計名字相けみょうじそう」に相当する。(詳しくは『大乗起信論』を参照のこと。)

 

補注(2) 罪障の懺悔行について

 ここで「罪根深重」に関連して、序ついでながら、前述した『華厳経』「普賢行願品」中の懺悔文「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔」を参究しておこう。この懺悔文でも、諸悪業は「無始の貪瞋痴に由る」といわれている。この無始とは起首なしの無始無終の時である。そしてその諸悪業は身口意の三業において、自己中心にして自己閉鎖的な貪瞋痴の無限衝動によるものとされている。ここでくり返し銘記しなければならぬことは、無始無終の罪業罪根の究極的な始めと終りは、逆説的にいまここに刹那生滅する有為の罪業の直下に来ていることである。真実の懺悔は刹那生滅する罪業の瞬間即絶対現在に全身心を託し、全身心が絶対現在そのものと化する処に成り立つのである。この自己の罪障の懺悔の具体的な行道については、『普賢経』に以下のような一文が見出される。「一切の業障海は皆な妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思へ。衆罪は霜露の如し。慧日能く消除す。」

 (注)この経文の注解は、『仏祖正伝禅戒鈔』(経豪著)から長文ながらここに挙げて参究に資したいと思う。*1しかし衆生が無にして真の信心を得るということは、方便法身衆生を絶対無(空そのもの)たる法性法身に面せしめ、その存在を知らしめることであった。しかもそれによって衆生をして無にして(大死)法性法身のうちで復活し(絶対否定即絶対肯定)、本来的自己の自覚に生きさせることである。こうして、法性法身衆生を取り次ぐ外在的超越的な働きをする阿弥陀仏の役割は終わるのである。つまり衆生が真の信心を得ることと法性法身に面して死して復活することと、阿弥陀仏が絶対否定的に(逆対応的に)法性法身のうちに消える(相入関係)こととはすべて同時的なのである(後述)。この同時的ということは、時間(無常)が永遠(有常)に触れてそれと融け合うことによって、一面では時間が消えて永遠となると共に、他面では永遠の中に摂せられながら生死の流れを続けるという時間の二重性(無常と有常)は、絶対現在の瞬間(「信楽開発の時剋の極促」「信心をうるときのきわまり」)を意味しているのである。

補注

このことは『正法眼蔵』「現成公案」の最初の一文「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり」にも相応する。この一文中「諸法の仏法なる時節」とは、諸法という「無常」が仏法という「永遠」に転ずる瞬間を意味している。その「時節」においては、以下の事項は例えば、迷悟は、単なる夢幻空華の現象ではなく、仏の迷悟として、脱落の迷悟となる。それは、大迷(迷也全機現)大悟(悟也全機現)として本来的創造的な絶対事実に転依せしめられることである。「修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり」の以下の事項もいちいち同様に積極的肯定的な脱落せる実相の事実に転ずるのである。従って浄土真宗の「真の信心の獲得の時」と「現成公案」の「諸法の仏法なる時節」とは通底するのである。

 少し長引いた説明になってしまったが、親鸞の絶対現在における時の二重性の把握によって、従来の法然までの浄土観が、臨終来迎の時まで待ってから浄土現前するのではなく、念仏行は今ここでの現在中心の平常底において安楽界(浄土)に生き得るという、平生業成へいぜいごうじょうの宗教が創造されたのである。(「如来より御ちかひをたまはりぬるには、尋常の時節(絶対現在としての今)をとりて、臨終の称念をまつべからず。」)  

 

(七)        

 これまでで既に長引いた論説になったが、今までの中で言い残した事柄が二つあった。一つは、第三節で禅仏教も「法の深信」を強調するだけでなく、その表裏一体として「機の深信」の自覚も求められるということに言及した。それに関連して『正法眼蔵』「仏向上事」の巻には、「洞山、衆に示して云く、仏向上事を体得して、方まさに些子語話さしごわの分有り。」つまり、禅では、仏向上ということを体得して初めて話をする資格があるというのである。そして「須らく仏向上の人有ることを知るべし」と示衆したのである。「如何なるか、是れ仏向上の人」とある僧が問うた。「非仏」と洞山は答えた。この「非仏」というのは、単に仏でない人というのではなく、仏というものを踏まえながら、もう一歩進み出ている人間の問題である。仏の境界にも執着しない、無住処涅槃のことである。だから「非仏」とは仏でないからといって凡夫だというのでもない。仏にも凡夫にも、涅槃にも生死にも不染汚である。要するに人間主体のゼロ点において「法の深信」と同時に大悲の光に照らされた悪人としての「機の深信」でもある。つまり仏向上人とは、法の深信のみならず同時に機の深信をも体得した人間を意味している。この点について、『風のこころ』(西谷啓治著)の「信仰について」という文章の中で、アッシジの聖フランシスのことが載っている。その話の趣旨を要約すると以下の通り。(参考『絶対無と神』(南山宗教文化研究所編、春秋社)) 

フランシスがレオという弟子と一緒にある町へ行く途中で、彼に話しかけたことば、

「あなたが非常に大きな社会的な影響を与えたり、あるいは学問的な成功を遂げたり、あるいは宗教的にすぐれた指導者になっても、それで完全であるということはないんだ。彼らは非常に寒い日に雨の中を旅をしているのだが、目的地に到達して門番に入れてくれと頼んだときに、その門番が「お前たちのような、人をだましているような極道な人間は入れてやらない」と言う。そのときに、聞いている自分たちが、門番が言っている通りだと、自分たちのような極道な人間はあたたかく迎えられるような値打ちがないんだということを本当に思って、その門番が言っていることは神の言っている言葉だと受けとって、そして本当のへりくだりの気持ちを持ったならば、そこに本当の完全なる歓びがあると。」

この話はフランシスのようなキリスト教の立場からの信仰であるが、真宗のみならず禅宗も「仏向上事」という、いわば全部捨てた、仏も捨てたという立場においては同じ「機の深信」に通じてゆくものと思われる。

 第二に、阿弥陀仏は「十劫成仏」とも「久遠実成」とも言われている。両者とも仏には違いはないが、仏教でいう「空」の捉え方に二面性があるということである。つまり『般若心経』の「色即是空・空即是色」の空の解釈には、相対的否定と絶対無としての絶対的否定との二義が関係している。相対的否定は「色」(境)が否定されるだけでなく同時に「分別心」(受想行識)の否定をも意味し、一切法は幻の如く蜃気楼の如くであることを表している。さらに、「空」もまた執着の対象として否定されて、「非色即非空」の両非によってあらゆる執着は滅してゆく。他面では空は絶対無あるいは真空である。これは般若波羅蜜・無分別智の智的行(あるいは行的智)において深められる絶対否定と同時に、絶対肯定的に一切法が如実の一切法として成立することを意味する。従って「空」は、絶対無の面で「色」あるいは「有」と融即し、相対無の面で「色」あるいは「有」と否定的に対立する。そしてこの融即と対立との二面が二つに分かれないであくまで一つになっていることが、「空」という一字で表現されている。またこの「空」は、一面では「色即是空・空即是色」とひっくり返して言われると同時に、他面では「色を滅して空へ」という方向があって、ひっくり返して言うことができない。従って、「空」のひっくり返される面は、色を空じて空ならしめるのではなく、「色の自性が空である」という般若経の表現である。ひっくり返されない面は「非有非空」の両非として、分別・煩悩を滅してゆく無分別行の深まりを表してどこまでも同じ方向に、即ち究竟の如来地に向かって進む。それに対し、ひっくり返される面は、この絶対否定の行が地々に真如を証することによって地々に究竟に達し、前者の如来地への方向が消されて一切法が如実の相において成立することを意味する。方向的な面は、無方向的な面と相即することによって、絶えずその方向性を消され、無方向的な面は方向的な面と相即していることによって絶対無をどこまでも深め浄めて行くことを意味している。つまり、一歩一歩が動的に弁証法的に完結しながら、相反する両面の相即を行ずるのが般若波羅蜜であり、無分別智である。(この段落は上田義文『大乗仏教の思想』参照要約)

 阿弥陀仏を「十劫成仏」というのは、空の方向的過程的な面からの謂であり、「久遠実成」はその無方向的円環的完結的な面からの謂であると考えられる。この相反する両面の相即を行ずる「行的智」あるいは「智的行」としての般若波羅蜜(無分別智)は、只管打坐行の無所得無所悟の無への一歩一歩の深まりと同時にそのつどの完結した行としてこれらの両方向の相即とも対応するものと考えられる。

 ここで法蔵菩薩の「十劫成仏」といえば、以下のような疑問が生じてくる。そもそも法蔵菩薩衆生済度の誓願は、四十八願のうち第十八願に代表されるものであった。つまり、その誓願は、一切衆生が「南無阿弥陀仏」の念仏を行じて阿弥陀の浄土に生まれない限りは、法蔵菩薩自らは決して成仏しないということであった。ところが経典では、その法蔵菩薩はすでに十劫の昔に阿弥陀仏として成仏して彼自身の浄土に居るというのである。とすれば、阿弥陀が「十劫正覚」として悟りを得て成仏しえたという事実そのものは、すでに衆生の我々も悟りを得て浄土に生まれてしまっているということを示しているのではないのか。つまり多劫の昔、法蔵菩薩阿弥陀仏となって自らの悟りを達成した時、我々も自分自身の悟りを得たことになるのではないのか。だから、最初から法蔵菩薩の正覚と同時に我々も浄土に生まれ悟りを得てしまった以上、あらためて我々が阿弥陀の名を称えてその浄土に生まれたいと願うことにどんな意味があるというのか。もはや浄土に生まれることを願う必要もないし、南無阿弥陀仏を称える必要もない。すべては阿弥陀が一方的に救ってくれたので、我々はそのためのどんな努力もはからいも必要がないのではないのか、というのである。このような疑問は、まさに若き道元が抱いた疑問と通底するのである。つまり「一切衆生悉有仏性」が真実なら、ことさらに発心修行菩提涅槃の必要はない。すでに我々は仏性の事実の上に生きているのだから。これが当時の天台宗宗学思想にあった。彼の疑問は、中国に渡って師の如浄禅師に出会って、はじめて修行による成仏の重要性に気付き、当時の修行成仏の不要論に逆らって、「仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず。成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参なるなり。」と説示したのである (参照拙著『正法眼蔵「仏性」参究』174頁)。これは非常な難問であって、次節において「仏性と成仏」と同様「法蔵菩薩の成仏と我々の悟りの達成」との逆対応の関係(絶対否定による回互の相入関係)として改めて論及することになるが、「仏の正覚成りしと吾等が往生の成就せしとは同時なり」(『安心決定鈔』)とある通りである。もし衆生を浄土に生まれしめずば正覚を取らぬといった法蔵菩薩の大願と、願成就の瞬間とは、先後の順序のままで同時である。この秘義は空の場における絶対現在において同時という意味である。大願を発した法蔵菩薩は正覚に即する彼として阿弥陀仏となり、この阿弥陀仏の中に衆生の往生は成就されているのである。ただそれに気づかず、また気づこうとしない者がいるだけである。それは後節で言及する通り、理性の立場からではなく、般若智の行的立場から言われることである。空の行的立場に立ってはじめて絶対現在において同時と気づかしめられるのである。そのことは、後の一遍上人によって、「阿弥陀仏の十劫正覚は、一切の衆生の往生は、南無阿弥陀仏と決定する所なり」と断言されているわけである。しかし我々の多くはこの秘義を知らず、ただただ無明の故に我執の故にこの大悲の恩沢に気づかずにいるだけである。

 

(八)

 浄土真宗の宗旨が、「如来衆生との根源的関係」を根本的課題とするものだということであった。その関係が、単なる平面的関係でなく根源的関係であることは、言い換えれば、「世界の成立と我々の自己(衆生)との成立」が、一つの「根源的事実」に基づくことによる。その根源的事実とは、前述したように、見ることも考えることもできない、非対象的な非思量の世界(法界)として、「絶対無・空・仏性」の原事実を意味する。我々の生死・迷悟、一切のこの世界内の事象は、この原事実(空)より生起し、この原事実(空)に還源されるのである。我々の自己は、端的に言って「自我と無我」・「生と死」・「迷と悟」というような自己矛盾によって自己が引き裂かれ、宗教的問題に苦しまなければならない。この自己矛盾の絶対否定によって自己成立の根源に還り、空の場の無限の開け(それを西田哲学では「絶対矛盾的自己同一」という)に転じて、いわば我々の自己の立場の絶対的転換によって、宗教的入信(回心・見性)を得ることができるのである。その原事実そのものは、我々の自己の根底、いまここの自己の直下にあって常に直接的に働いている。我々の自己はもちろん、一切の衆生の存在も、またそれらが置かれている一切の有限な世界も、この原事実の働きである空・絶対無の制約下にあるわけである。従って我々にとって直接的に与えられている事実はこの空の原事実にほかならない。

 その点、滝沢神学では、インマヌエル(我らと共なる神)すなわち「神人の原関係」こそが我々にとって直接に与えられている事実だといわれる。そこに仏教とキリスト教との相違が見出される。しかしこの相違は最初から自明なことではない。なぜなら、仏教、特に禅仏教の側からすれば、キリスト教エックハルトによって、「人格神としての神」と「神そのものとしての神性」とが区別され、我々にとっての神である人格神に先立って、「絶対無」としての神自体(神性)こそが、一切の原事実だと主唱されているからである。しかしこのエックハルトの神観は、伝統的なキリスト教からは、神秘主義的思想として異端視されてきたものであった。それに対し、前者の「インマヌエルの神」は、我らの前に現れた限りの「我々にとっての神」として、人間理性の立場から悟り得た表象された人格神であって、その神人の原関係も、絶対無の場から表象を超えたものとして表象された、いわゆる表象の逆説といわれるものに相当する。それに較べて、後者の絶対無としての神性としての神は、我々にとっての神ではなく、神にとっての神そのもの(神自体)として、その絶対無は、禅仏教と通底するものがあるからである。前者の「神人の原関係」は、創造主の神と被造物としての人間との関係として、両者間には不可分・不可同・不可逆の関係があり、その関係内の人間の自由は、神の絶対的決定によって与えられた相対的自由でしかなく、いわば「絶対被決定即自己決定」という制約下の自由の域を出ないのである。それに対し、後者の神人の原関係は、神の根底と自己(人)の根底とが絶対無の神性に於いて不一不二なるもの(不可分・不可同)と解されている。それは絶対無の場所に於いて互いに相入関係(後述)をなしており、そこでの人間の主体性は神をも突破し絶対自由を生きるのである。神をも突破するとは、「超仏越祖」「殺仏殺祖」をいう禅仏教を連想させる。

 しかし、エックハルトの神学についてのさらなる言及は他の機会に譲って、特に今は禅仏教でいう「空」或いは「絶対無」の立場から、宗教の論理構造を論究しようと思うのである。まず、「空の論理」についてであるが、前節において、「色即是空・空即是色」の「空」は、「非色・非空」の「相対的否定」によって、空の無底性に深まってゆくという過程的意義を有するのに対し、他方「絶対無」を意味する空の場からは、色(有)は「本来的色(有)」として現成するのだということを述べた。(もちろんここでいう「色という存在(すがた・かたちを有するもの)」は、「般若心経」でいう「色受想行識」を代表していわれたもので、「色」以外の他の「識」或いは「作用」も空の場においては、みなそれぞれ、ありのままの如実性・本来性として自得せる円環的あり方においてあるということである。)しかし、絶対無あるいは空の場における「本来的色(存在)」とは、理性的観想的立場から解されるのではなく、「色即是空」「空即是色」の色と空とのそれ自身にとらわれた両者が、それぞれ絶対否定によって、色でない色、空でない空(即非の論理)となった時、互いに相入関係を自由にすることができる。つまり、色は空となり、空は色となって、「色是色」「空即空」(『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」の巻)、つまり「(尽界)色ぎり」「(尽界)空ぎり」の一方究尽の行の論理が成立する。総じていえば、空と色(有)とは、絶対否定即絶対肯定的に回互的相入関係(西田哲学では、「場所的論理」における絶対否定を介する逆対応関係を意味する)にあって、「真空妙有」といわれるのである。

 ここで絶対無(空)とは、前述した通り、見えざる考え得ざる非対象的な非思量の世界(法界)である。世界内の一切の事象がそこに於てあり、そこにおいて働く時空を超えた絶対静にして絶対動である根源的な弁証法的動性である。それは、仏教においては、絶対の真理体を意味した「法身仏」特に浄土真宗では、「法性法身」とも「自然法爾」とも称せられる当体である。それはふつう「絶対無相の主体」として、どこかまだ有的性格を残して解されているが、厳密には、「絶対無為・無相・無体」であって、その体は無であると考えられたそれ自身本質的に覚智の性格をもった般若智・無分別の分別ともいわれる処である。そこでは、世界の万法・万象がありのままに如実に現前する場であると同時に、また人間がそこに還って初めて真の自己の自覚に達する処である。そのためには自己は一切のはからいをやめて主体のゼロ点そのものとなる時、はじめて開かれる無の場所である。

 従って、絶対無(空)とは、絶対の無体として、その実体性を抜かれているので、その場所に置かれ包まれている一切の個(多)のそれぞれも、この絶対無の場所に媒介され、その制約下にあって、初めからその個から根底的に絶対否定を介して実体性が抜かれて、無基体的・無自性的にならざるを得ない。そこではちょうど円周のない絶対此岸の場の上で、それぞれの個がいたる処他の一切の絶対中心(主)となり得ると共に、他の絶対中心の個のための成立契機(従)として、そのつど主従関係を自由にし得る、いわば回互的相入関係にある生きて働く個となるのである。つまりそこでは唯一絶対の個が、同時に「個に対して個である」という相対的個であり、しかも個の存在と世界の存在の成立とが同時であって、互いの両者が絶対矛盾的自己同一的に働く場所が、この絶対無(空)の場所なのである。

 この絶対此岸の場所においては、「仏と衆生(我々の自己)」も、「仏性と成仏」も「本覚と始覚」も、回互的相入関係にあって、固定的な順序の先後は消えるのである(補注)。いわゆる滝沢神学で言う「(不可分・不可同・)不可逆」は認められない。不可逆を主唱するのは、ものを対象化し表象する理性知の立場に捉われた発言と言わざるを得ない。現に、『法華経』「方便品」には、「仏種は縁より起こる」とだけあって、理性の立場からは順序の先後が逆に聞こえるのだが、空の場の回互的相入関係の立場に立った道元禅師は、それに続けて、「縁は仏種より起こる」と付け加えて表現していることに注目したい(「諸悪莫作」の巻)。「言語道断心行処滅とは、一切の言語なり、一切の心行なり」(「安居」の巻)も、この絶対無の場所の絶対矛盾的自己同一の論理である。一切の個々の衆生が、絶対無としての空の場所にあって無基体的な制約下にあることは、それらの衆生衆生を救わんとする如来との原関係もその例外ではない。迷いの衆生と度衆生のための同事行を行ずる如来(菩薩)とは、相互対立的に相働くものとしては、空の場所の自己限定の両端というべきものであって、ともに基体となる実体ではなく、絶対否定されて衆生でない衆生如来でない如来として互いに相入関係(逆対応的関係)にあり、衆生のときは衆生ぎり(衆生衆生)如来のときは如来ぎり(如来如来)となってともに自得する如実性を実現し、会得する。「一切衆生なにとしてか仏性ならん、仏性あらん。もし仏性あるは、これ魔儻まとうなるべし。魔子まし一枚を将来して、一切衆生にかさねんとす。仏性これ仏性なれば、衆生これ衆生なり。衆生もとより仏性を具足せるにあらず。たとひ具せんともとむとも、仏性はじめてきたるべきにあらざる宗旨なり」(「仏性」の巻)。ここで忘れてはならないことは、衆生としての我々の自己はその主体性を絶対否定されて、主体のゼロ点において絶対無としての空の場に開かれていること。だからと言って衆生の罪障は決して除かれていないことである。つまり衆生は罪障のままで救われているということである。特に浄土真宗の教義では、衆生は罪障のままで「横超」的(場所的・円環的・絶対他力的)に瞬時に救われるという、いわゆる「不断煩悩而得涅槃」の成立である。その救いの具体的行が「南無阿弥陀仏」の念仏称名であるという。

(補注)

空の場における仏行の立場、即ち回互的相入関係(逆対応的関係)は以下の文にも見出される。

(1) 諸仏諸祖の行持によりて、われらが行持見成し、われらが大道通達するなり。

 われらが行持によりて、諸仏の行持現成し、諸仏の大道通達するなり。

 われらが行持によりて、この道環の功徳あり。(『正法眼蔵』「行持 上」)

(2) 名号につきて信心をおこす行者なくば、弥陀如来摂取不捨のちかひ成ずべからず。

 弥陀如来の摂取不捨の御ちかひなくば、また行者の往生浄土のねがひ、なにによりてか成ぜん。

 すれば本願や名号、名号や本願、本願や行者、行者や本願といふ、このいはれなり。(『執持鈔』)

 

(九)

 絶対無としての空の場所の論理の説明が長くなって最初の主題から遠ざかってしまった。この辺で閉稿するために、最後に道元禅と親鸞教との異同を最終的に確認しておくこととする。まず第一に、衆生済度についての仏と衆生との関係の仕方について。

 道元禅では、法身仏・報身仏・応身仏の三身は全体的に、即一的で直接的に衆生に働きかけ、衆生との同事行によって衆生自身の根源的自覚を促すことによって度生は成立するが、終局的には、救済する仏と救済される衆生との自他の能所の関係をも超越した処に真の度生を見出している。それに対し、浄土真宗の仏の衆生に対する度生の仕方は、方便法身としての報身仏の阿弥陀仏が応身仏と共に個々の衆生と直接にかかわることによって、衆生を最終的には法性法身(法身仏)にとりつぐ媒介者の役割を演じてゆく。従って衆生にとっての直接的な救済は阿弥陀仏真仏として働いている。しかしその度生の仕方は、救済する主体(阿弥陀仏の本願)と救済される衆生の個々とはどこまでも自他・能所が対立したままである。両者とも「機法一如」としては一であるが、その重心の置き方に、道元禅が「一如」(「仏即衆生」の「即」)の方に置かれているのに対し、親鸞教は、機(衆生)と法(仏)の二分された方に力点が置かれている。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。さればそくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ。」(『歎異抄』)で明らかである。

 なお、この一文で親鸞教の宗旨のすべてが、しかも親鸞一人の実存的立場から、深い感動をもって我々の個々に迫ってくる。それは概念的・理念的な教義の枠をはるかに超えたものとしてよくよく味読し、我々各自が我々の存在の根源で、しっかりと受け止めてゆかねばならない深信の真実である。ここで「ひとえに親鸞一人がため」という「一人」について『正法眼蔵』「優曇華うどんげ」の巻から連想される場面がある。(もっとも両者は全く同一の場面ということではないが。)それは巻頭の一文「霊山れいぜん百万衆の前にして、世尊、優曇華を拈じて瞬目しゅんもく(目くばせ)したまふ。時に摩訶迦葉、破顔微笑せり。世尊云く、我に正法眼蔵涅槃妙心有り、摩訶迦葉に附属す」という経典のことばである。前節ですでに論究してきたように、この一文は空の立場から言われている。文面の表面では世尊の拈華による瞬目は、摩訶迦葉だけが世尊の意を解して破顔微笑したが、「百万の大衆、聾ろうの如く唖の如し」で、何もわからずぼんやりしていただけだったと解されている。丁度それは弥陀の本願はただ親鸞一人だけにしか真実には信解されないように受けとられがちだが、空の場においては世尊の優曇華もその拈華も摩訶迦葉も破顔微笑も、それぞれの存在や働きの根源において空の立場から一切が互いに主従関係として蔵身し合って、いわゆる回互的相入関係(逆対応関係)をなしている。そこでは摩訶迦葉一人だけが、親鸞一人だけが特別に優れていて、如来の本願廻向や世尊の正法眼蔵涅槃妙心に与ったというのではなく、両者のそれぞれの根底において一切衆生や百万衆が回互的相入関係(逆対応)によって蔵身されているということ、つまり誰一人例外なく平等に破顔微笑し、仏法の真実を附属された、その代表者として親鸞一人があり摩訶迦葉があると解すること、しかも仏の拈華や瞬目、あるいは摩訶迦葉の破顔微笑の瞬間瞬間が即永遠の現在として現在の我々の自己自身に直接関わってきているということ、その霊山も特定の霊山ではなく到るところ霊山であることを示しているというのである。ここに空の場における宗教的見解をうかがうことができるのである。

 第二に、親鸞の次の言葉が私には深い印象を与える。

「転ずといふは、つみをうしなはずして善になすなり。よろづのみづ大海にいればすなはちうしほとなるがごとし。」(『唯信鈔文意』)

ここで「転ず」という言葉は、凡夫の煩悩心が如来の大悲心に転換することである。この転換は、我々の自己の立場の絶対的転換である。衆生の自力の無(主体のゼロ点)を通して、如来の他力の成立へと移り行くこと、それを如来の横超による摂取不捨の本願廻向という。ここで、横超とは、我々の自己にどこまでも超越的であって、衆生がどんなに煩悩心や罪悪心の渦中にあっても、それとはかかわりなく、罪を罪のままで(「つみをうしなはずして」)そのままで包摂する大悲力である。これを「煩悩を断ぜずして涅槃を得」というのである。

 以下の和讃はこの「転ず」のあり方を示している。

(1) 弥陀誓願の広海に 凡夫善悪の心水も 帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる

(2) 無碍光の利益より 威徳広大の信をえて かならず煩悩のこほりとけ すなわち菩提のみづとなる

(3) 罪障功徳の躰となる こほりとみづとのごとくにて こほりおほきにみづおほし さわりおほきに徳おほし

 (1)の和讃のうち、「凡夫善悪の心水」とは、凡夫の善悪は宗教的にはともに罪悪を意味している。「帰入しぬれば」と現在完了形でいわれているのは、過程的な時を経た後に帰入し終わること、その帰入し終わる時が摂取にあづかり信心が定まる不退の時を意味している。

 (2)は「煩悩のこほり」と「菩提のみづ」とは互いに否定しあう矛盾対立の関係を表している。

 (3)は「罪障」と「功徳」の相互に矛盾関係にあるものが同一の「躰」をなした表現である。これは最初の一文「つみをうしなはずして善になすなり。よろづのみづ(さまざまな煩悩心)大海(大悲心)にいれば、すなはちうしほ(海水)に一味なり」で、空の場所では絶対矛盾のままで自己同一であることを示している。

 いま三つの和讃を提示した理由は、「つみをけしうしなはずして善になすなり」という真意には、仏の大智と大悲をもってしても、この世界内の現象面における業縁の因果の法則は変えること除くことはできないということである。にもかかわらず、世界内のいかなる様相にも無関係に、超越的包摂的に、絶対自由の場の開けているのが、親鸞教でいう仏の絶対他力の道(自然法爾の道)であり、それは自己の根底(絶対的此岸)としての空の場の動力学なのである。この道理は、実は道元禅において、「不昧因果即不落因果」(『正法眼蔵』「大修行」の巻)として提示されているものであった。それは端的に言えば、罪を犯して地獄に堕しても、従って地獄相応の苦悩を味わっていても、逆説的に地獄のままで充分に全身的に極楽浄土の安心を生きぬく道を示してくれているのが仏の光明世界、尽十方無碍光如来の道であったのである。

「善きことも悪しきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまひらすればこそ他力にてはさふらへ」(『歎異鈔』)

「本願をたのみまひらすれば、自然(他力)のことわりにて、柔和・忍辱のこころもいでくべし。」(同上)

「他力の中に摂取された行者は罪悪深重だから、悪を為さないとは限らないが、悪を為したとしても、それは業縁にもよおされたものであって、彼が自由意志で為したわけではない。」(上田義文『親鸞の思想構造』) ここで肝心なことは、我々の自己の主体的ゼロ点(空の場)においては、人間の自由意志は絶対否定されているにもかかわらず、世界内における我々の自己の存在の現象面では、常に無限の過去からの業縁は働き続けているということである。前述した通り、この業縁は仏の大悲をもってしてもどうしようもできない。そこに自然法爾(法性法身)に任せてゆく、私の一切のはからいを入れず、ただ本願他力の道に生きるということである。親鸞の言葉はそれを示しているのである。

 それから、前に挙げた「転ずといふは、つみをうしなはずして善になすなり」ということばに直接つづけて、「よろづのみづ大海にいればすなはちうしほ(潮)となるがごとし」ということばは、くわしくは親鸞の和讃「名号不思議(大海)の海水は、逆謗の屍骸もとどまらず、衆悪の万川帰しぬれば、功徳のうしほに一味なり」と同意であって、この和讃中の「逆謗の屍骸もとどまらず」ということばは、『正法眼蔵』「海印三昧」の巻中にも「大海不宿死屍(大海は死屍を宿せず)」とあって、これらは経典(『華厳経』や『涅槃経』)のことばから取り出されたことばと思われる。この「大海不宿死屍」についての道元禅師の解釈は、結論から言えば、大海(仏性海)死屍(死骸)のままで海の中の海徳に徳化してしまうというのである。従って「不宿死屍」は文面では死屍は大海には除外されてしまうと解されがちだが、そうではなく、この「不宿」は、大海(仏性海)では、そのものに囚われず非実体的に不染汚にして脱落していると解しているのである。その親鸞の和讃も道元の「海印三昧」も、「海水」と「死屍」とは一見融即的一味として同様に解されるのであるが、後者の「海印三昧」はそれにとどまらず、転換的に次のように「死屍」を解するのである。「死屍は死灰なり、幾度逢春不変心(いくたびか春に逢うて心を変ぜず)なり。死屍といふはすべて人人にんにんいまだみざるものなり(非対象的なもの自体)。このゆゑにしらざるなり」とあって、『御抄』(直弟子の注解書)には、「死屍死灰と談ずるときは、死屍の外物あるべからず、此道理が幾度逢春不変心也といはるるなり。幾度春にあへども不変心とは、死屍の独立の道理なるべし。此死屍のすがた、死屍の外に能見所見あるべからず、ゆへにしらざるなり」という解釈がのせられている。これは禅仏教の行的論理として「一方を証するときは一方はくらし」で、大小広狭の二見分別を超えるのである。つまり大海(仏性)と死屍とはともに回互的逆対応的関係において、一方では尽十方界大海(仏性・大海ぎり)であり、他方では尽十方界死屍(死屍ぎり)なのだというのである。尽十方界とは不染汚にして脱落の意である。これは最初の「行仏威儀」の巻で言及しておいた「放行」と「把定」の行の二面を表しているのである。それは『正法眼蔵』における道元禅師特有の説示である。

 

(十) 念仏と坐禅の只管行について

 浄土真宗における衆生済度の手形としての名号は、衆生に廻向された名号である。それはことばの二重性即ち「言と言葉」として受け取られる。その論理構造は複雑で、宗教という立場からは根本的には仏の呼びかけ・語りかけが始めにあって、それを衆生が聞くという動的関係にある。しかしこの呼びかけ・語りかけと、それを聞くという関係には、衆生から語りかけ仏がそれを聞く面と、仏が呼びかけ衆生がそれを聞く面と、二重の関係が考えられる。まず、衆生の語りかけは、必ずしも最初から仏に向かって語りかけていなくとも、衆生の存在そのものがすでに迷いの中にあって何かを求め願っているという、すでに人間存在が本来持っている問題性が先立っている。それに対して仏は衆生の迷い求めている声を聞き入れて、衆生済度の本願を成就せんとする。それが衆生の願を含んだ衆生への本願廻向の呼びかけであり、その呼びかけに衆生が「ハイ」と聞き入れた言葉が、「南無阿弥陀仏」という名号である。この名号が真実に成立するには仏と衆生との間に衆生の根源的自覚(大信。人間主体の絶対否定としてのゼロ点そのものとなること)がなければならない。こうして名号が名号自身となったとき仏が仏自身に成ることができるのである。その本願を成就したとき法蔵菩薩阿弥陀仏として成仏するわけである。従ってその名号とは単に人間が口先だけで称名するのではなく、人間存在の全体(身口意の三業全体)が称名の大行に帰入し得て「南無阿弥陀仏」が「南無阿弥陀仏」になることに帰結する。念のために確認しておくことは、名号の「南無阿弥陀仏」は、文面からいえば「阿弥陀仏に南無(帰命)する」という仏を向こうにおいて衆生がそれに帰命するという、能所二見の見解を意味するが、この二見分別は「機法一如」においてすでにはるかに超えられているのである。従ってその「南無阿弥陀仏」は、「無義をもって義とする」限り、この称名以外のはからいの論議はすべて不要となるのである。結論を先立てていえば、尽十方界南無阿弥陀仏であり、一切が声なき声(言)として絶えざる念仏称名の響き渡りの世界を意味する。これが浄土門の大信・大行の世界である。なおこの称名念仏の帰結への歴史的経緯には、善導・法然から親鸞へ、親鸞から一遍への進展が見出されるが、それは総じていえば、「人から仏へ」の呼びかけが「仏から人へ」の呼びかけとなり、究極的には仏が仏を念じ、念仏が念仏自身に成るという、人と仏との能所を超えたところに絶対的自由が開かれるのである。このことはすでに親鸞の伝統的宗学思想の枠をも超えた私自身の道元禅と通底した受け取りである。

 ここでこの称名念仏について注意すべき一点がある。それは称名念仏のはからいなしということであるが、この人間のはからいなしは最初から無条件に与えられているのではないということである。人間はどんなにしても’ハカライ’の妄念から解脱することができない。だから逆説的な言い方になるが、自力の尽力をもって自力の無効性を根源的に自覚することにある。人間の自力への絶望が、人間主体をも埋ずめ尽されて絶望ぎりとなったとき、「現成即会得」として必然的に絶望の自覚が与えられ、その自己の無において相入関係(逆対応的に)が成立し、仏の大悲の本願力によって、「南無阿弥陀仏」ぎりとなるのである。そのとき衆生済度と仏の成仏とは絶対現在において同時的なのである。

 こうして、「南無阿弥陀仏」とは、いまここで唱える自己が身ぐるみ「南無阿弥陀仏」そのものになってしまって、その外に仏も自己もないということである。ただ称名なるのみ。それを大行大信という。浄土真宗に限らず、道元禅も、否な広く仏教だけでなくキリスト教の宗教の真実とは、繰り返していうことであるが、ともに自己自身のゼロ点(吾我の絶対否定)に立脚して(それは自力の無効を自覚させられてのことであるが)絶対自由の無の場所に渾身心を開くことである。

「念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神てんじん・地祇ぢぎも敬伏きょうふくし、魔号・外道も障碍することなし。罪悪も業報を成ずるあたはず、諸善もおよぶことなきゆへに無碍の一道なり。」(歎異抄』第七)

驀然まくねんとして(まっしぐらに)尽界を超越ちょうおつして、仏祖の屋裏に太尊貴生たいそんきせいなるは、結跏趺坐なり。外道魔党の頂寧ちょうねいを蹈飜とうほんして、仏祖の堂奥に箇中人(本分人)なることは、結跏趺坐なり。仏祖の極之極ごくしごくを超越するは、ただこの一法なり。このゆゑに、仏祖これをいとなみて、さらに余務あらず。」(正法眼蔵』「三昧王三昧」) *「寧」は原文では「寧」に「頁」。 

この親鸞聖人のことばも道元禅師のことばも、大行大信の偽らざる表白である。私たちもこのような偉大な先人にならって、大行大信の生その誓願の偉大なる生に、少しでもあやかって、この生涯を貫いてゆきたいものである。「念仏が念仏する」とか「坐禅坐禅する」とか、「只申すばかり」の「只管念仏」も無所得無所悟の「只管打坐」も、これ以上の言説と心行とは、もはや「自然法爾」の「義なきを義とす」を義としてしまった感あり。恐惶謹言。

 

*1: )内は筆者注)

 「一切業障海と云ふ句は捨つべき物とおぼゆ。三界(世間)の法なるゆへに。端坐思実相(端坐して実相を思へ)の詞は取るべき物とおぼゆ。実相を聞くゆへに。…罪障は不可得の法なり。(仏果も不可得の法なり。)自他共に実無し。とるべきもなく、すつべきもなし。妄想の極所其の跡をのこさず。実相の極所あらはす所なし。(端坐思実相において)迷悟生(衆生)仏一(一体)なるを懺悔の体とす。すなはち懺悔を修する者即ち功徳具す。妄想と実相と相対して能持所持の法かと覚ゆれども、能所体脱すれば、能所無し。是れ仏法の正路也。皆従妄想生(妄想より生ずるもの)を置いて、端坐思実相にて解(解脱)するとは心得べからず。…是れ驢事未だ去らざるに、馬事到来の義なり。(行くものも馬なれば、来たものも馬だ。実相と妄想は驢事馬事だ。空の場において真妄ともに解脱)所詮仏果菩提の法を以て懺悔と習ふべき也。(真妄無性、ともに実相なりと、空の場において体脱することが懺悔の法だ。)滅悪生善(悪を滅ぼし善を生ずる)は仏法の懺悔にあらず。善悪に不染汚(善悪の実を見ず)これ懺悔也。前後を分別すれば、前後有るに似たり。思想亡ずる処、一切時無し。過現未来、心不可得。(身口意の)三業と言うと雖も、一念に過ぎず。無生、更に罪の悔ゆべき無し、是れを三業清浄と名づく。」

 要は、一切の罪障はその存在の根底において無始無終の宿業報であるが、空の場においては、その無始無終は、刹那生滅のいまここにおいて、逆説的にその始めにして同時に終わりである。これが絶対現在の自覚である。真の懺悔の行道は「端坐思実相」であるが、これは端坐することによって、又は端坐しながら、実相を対象的に思考し反省せよという意味ではなく、端坐それ自体(無所得無所悟の只管打坐それ自体)が「思実相」なのだ。くわしく言い直すなら、「端坐即思(不触事而知 不対縁而照)即実相」であり、実相そのものとなった思惟(端坐)を真の懺悔という。端坐とは「自己の正躰」であり、真妄・能所の二見分別を止めて、真実の自己そのものになること。この「端坐思実相」の只管打坐によって真の懺悔が成立し、刹那生滅のいまここの罪障は、すなわち行仏威儀の実相に転換されるということである。単に仏前で、あるいは衆人の前で自己の犯した罪業を悪うございましたと謝るだけのことではなく、吾我を放下し、空そのものあるいは絶対現在としての打坐一行に徹して三世を超越し、真妄を体脱するということが真の徹底的懺悔ということだったのだ。

 

「行仏威儀」の巻のこの本文に見られた道元禅師の罪障観と親鸞聖人の罪障観とは、同じ大乗仏教として「絶対空」(真空妙有)を根底とすることにおいて根本的にはちがいはないが、それからの解脱と救済の仕方については大きな開きを示している。以下はその参究である。

 

罪障観における道元禅と親鸞教とのあいだ

(一)

正法眼蔵』「行仏威儀」の巻中、道元禅師の罪障観参究の中で、道元禅と対比的な浄土真宗における罪障観は如何なるものか、両者間の異同を考えてみようと思います。そのためには、先ず道元禅と親鸞教とのそれぞれの宗旨を確認しておく必要がある。この両者の宗旨の差異については、常識的立場からいえば、共に大乗仏教でありながら、禅仏教は聖道門として絶対自力を宗旨とするのに対し、浄土真宗浄土門として絶対他力として対比されて受けとられている。歴史的な現象面から見れば、確かにその通りなのだが、その在来の教義上の固定した枠を離れて、両者が共に成り立つ普遍的な根源的事実から見たとき、言葉の上では互いに全く反対の意味をもつ自力も他力も、実はイマ・ココの自己自身の根底的働きにおいて、共通の土台の上に立っていることに気づく。つまり、意識の場における自己存在(自我)に対して、その自己存在の成立する根源的事実、いわば「自己のもと」を、禅仏教は「絶対自」とも「全自己(空の場のおいて自己以外に何もない全体的自己)」ともいい、浄土真宗では、「絶対他力」とも「大悲」あるいは「本願廻向」とも言われている。なるほど両者間では究極的真実に至るまでの過程においては、自力・他力の相違はあっても、究極の処では自他一如という場所的同一に出会うのである。それに加えて、絶対自力の立場と見なされている道元禅においてさえ絶対自力というよりも絶対他力として親鸞教と見間違えるような以下のような一文に出会うのである。

「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家になげ入れて、仏の方よりおこなはれて、これに従ひもてゆくとき、力をも入れず、心をも費さずして、生死をはなれ仏となる。たれの人か心にとどこほるべき(心中ためらい途惑うことがあろうか)。」 (正法眼蔵』「生死」)

この一文を読めば、「仏の家になげ入れて、仏の方よりおこなはれて」全く他力の教えそのものとなっている。これは自力に徹することによって、自力に対立する他力になるということではなく、自力他力の二の消え去ること、自他一如の不二の行道として「自己のもと」に帰すること、親鸞教でいえば「自然法(自然のありのままの働き)」に帰一してゆくことを意味しているのである。このことは、また後で触れることになるが、いまここで我々が最も注目すべきことは、この両者の原点は、吾我の絶対否定にあり、一切の自己のはからいのない、主体のゼロ点におかれているということである。このゼロ点に立脚してこそ、はじめて空の場の無限の開けに通じてゆくのである。西田哲学の遺稿論文「場所的論理と宗教的世界観」中の宗教論も、単なる宗教的体験にとどまらずに、この空の無限の開けの場所から動的な論理構造(場所的論理)として捉えていたのである。この「場所的論理」は、禅仏教の「絶対無」あるいは「真空妙有」という原事実を説明する立場を浄土真宗の宗教にも適用することによって、今までの既成の固定した真宗教学からも自由になって論じたのではないかと思われる。これは後ほどくわしく論述することにします。

 

(二)

 まず、浄土真宗を含めて浄土門一般に見られる罪障観は、自己存在の事実そのものが罪そのものだ、罪悪そのものだと見ていることである。それはキリスト教でいう人間そのものの原罪と通ずるものである。この罪悪観は、道徳的倫理的な内省から来る罪悪観とは、質的に異なることを確認しておかなければならない。後者の場合は、自己の主体が先に前提されていて、自己とその犯した罪悪とは二つに分かれていることである。その場合には、その罪悪は、自己によって表象されたものにすぎない。自己存在そのものが、「即」罪悪だというのではない。これは意識的次元の範囲内に属するものである。それに対して宗教的罪悪観は、自己存在の根底からの仏の大悲の光に照らされてはじめて明らかになる罪悪であって、人間にとってはどこまでも非対象的であるが、それ自体の本質は、自己中心性であり、衝動的な我執の伴う妄念として、根本無明の働きそのものである。仏教ではそれを第六蓋の煩悩として行的にしか解決できぬものとされているのである(参照『宝慶記』)。それは人間にはどうしようもない虚無的にして堕地獄への働きである。それは人間能力の限界点において、絶望に追い込まれ、ついには絶望する主体さえも絶望の中に消えゆく「死に至る病」そのもの、まさにキリスト教でいう原罪そのものである。しかし前述した人間の主体のゼロ点においては、その甚深な罪悪(自己中心性・自己閉鎖性)そのものが、つねに大悲の光によってありのままに照らされているのを我々は知らない。平生我々人間は、その根底的な罪悪そのものに直面することなく、愚者としての徹底的自覚を避けて一生を自己中心的な我執の中で生死しているわけである。その点浄土門の祖師たちは、親鸞も含めて、以下のような自己自身の罪悪の自覚と懺悔の告白の表現が見いだされる。

「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、昿劫こうごうより已来このかた、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし。」(善導『観経義疏』)

「我れはこれ烏帽子えぼしもきざる(〈私は〉元服した男子のかぶりものもせず、男として一人前でない、だらしない)男なり。十悪の法然房、愚痴の法然房が、念仏して往生せんといふなり。」「なおし源空(法然)ごときの頑愚のたぐひは、更にその器にあらざる故に、悟り難く惑ひ易し」(法然「大原おおはら問答」)

「是ここにおいて愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿じんとくの有情、底下ていげ最澄(伝教大師願文」)

しかしこのような罪悪深重煩悩熾盛というような罪の自覚や懺悔の告白は、繰り返していうことだが、単に個人的な経験による反省的な述懐からのみ表白されるのではない。確かに個人的な経験による反省的述懐に即しながらも、浄土門的視点からいえば、自己存在の根源(主体のゼロ点)において、阿弥陀仏の本願による大悲の光に照らされたときはじめて、誰よりも一切衆生の罪を一身に受けた自己自身の存在の本質が罪悪そのものであることに気付かされるのである。この気付きと自覚は、決して自己自身の内省力では不可能であって、その内省力もゼロ点に消えることによってのみ開けてくる信知によるのである。それが「機の深信」である。必定地獄落ちの危機意識も、自己の底深き根柢から呼び起こされてくるのである。この罪悪深重煩悩熾盛の虚無と絶望そのものから大悲の誓願によって必ず救い遂げてくれる大いなる働きを信知することが「法の深信」である。しかし念のために言うことだが、これらの深信は両者とも人間主体のゼロ点の立脚から少しでもはずれたら成立不能になるのである。これは厳しく問われなければならない。

 

(三)

親鸞の著作『教行信証』信の巻に遺された彼自身の罪の告白と懺悔の表現の痛切な苦悶の言葉は、我々に直接訴えて来るものがある。

「誠に知んぬ。悲しき哉、愚禿鸞ぐとくらん、愛欲の広海に沈没し、名利の大山だいせんに迷惑して、定聚じょうしゅの数(信心決定の位)に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快たのしまず、耻づべし、傷むべし矣。」

この彼の懺悔の悲歎の情の一文をよく読み返してみると、前半の言葉はともかく、「定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快まず」という言葉は、ふつう一般の心情としては、少しでも菩提心(道心)を求める宗教者なら、「定聚の数に入り」「真証の証に近づくこと」を何よりも喜び楽しむのが自然の心情である以上、それらは一見すると、余りにも深刻で誇張された言葉ではないかと思われるほどである。だから解説者の中には、(例えば柳宗悦)「表現は多少修辞に煩わされているように思える」とさえ言われているのである。彼はどうして「耻づべし、傷むべし」とここまで自身を「愚禿」の自覚に追い込んでしまっているのだろうか。しかし、この一文を繰り返し読み直してみると、「定聚の数に入ることを喜ばず」は、前文の「愛欲の広海に沈没し」によるのである。「真証の証に近づくことを快まず」は「名利の大山に迷惑」することによるものだと受け取るとき、確かに対句的な修辞法を用いながらも、それなりに納得することができ、それで「耻づべし、傷むべし矣」が響いていたのである。このような罪の告白と懺悔の痛切な言葉は、ほかにも、彼の『愚禿悲嘆述懐和讃』にも見受けられる。

浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし。」

こういう親鸞の罪障観の表現に比べると、道元禅師の「行仏威儀」巻中の罪障観は、道元禅師ご自身の内省から直接出た懺悔の表現というより、本文中にあるように、「諸仏いはく、此輩(注)罪根深重なり、可憐憫者なり。深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり。」とあって、

 (注):本末の断常の邪見・悪見・顛倒の見解をもつ者、

   『法華経』中に出ていた、世尊の説法中に座を立ち去った五千人余りの衆生になぞらえたもの。

此輩の罪根深重担を批判している表現にとどまっている。ここまできて、翻って道元禅師の深信は親鸞の深信とどう対比されるのだろうか。けだし「深信」という限りは、両者とも主体のゼロ点において「機法一如」の一点においては、同じ大乗仏教として異なるものではないと思われる。ただ「機法一如」でありながら、道元禅は一方的に、つまり「一方を証するときは一方はくらし」(「現成公案」)という一法究尽の行的論理として「法の深信」に重心が置かれている。それに対し、親鸞教は機と法の逆限定の両者に表現の重心が置かれている。

 例えば、道元禅師の『学道用心集』には、「法の深信」として以下のように言われている。

仏道を修行する者は、先ず須らく仏道を信ずべし。仏道を信ずる者は、須らく自己本もと道中に在って、迷惑せず、妄想せず、顛倒せず、増減無く、誤謬無しということを信ずべし。是の如きの信を生じ、是の如きの道を明らめ、依って之を行ぜよ。乃ち学道の本基なり。」

ここにいう「仏道を信ずる」とは、「法の深信」をいうので、それはどこまでも人間の主体のゼロ点に立脚すること(具体的には只管打坐の行)が、すなわち深信の意味である。この主体のゼロ点においては真の仏道はつねに現前している処であって、それは「自己ならぬ自己」「真実の自己」「本来的自己」そのものの現成である。これが行信としての只管打坐に究極する。それなら、道元禅は「機の深信」は否定しているかというと、実はこの主体のゼロ点ではやはり機と法とは表裏一体なのだ。よくよく『正法眼蔵』を拝読してみれば、

「直ぢきに根源を截るも人未だ識らず、忙々たる業識幾時か休せん。」(「仏性」)

 (忙々たる業識、せわしなく働いている妄念、忽然念起の根源的無知が休みなく働いているあり方)

「諸悪たとひいくかさなりの尽界に弥淪みりんし、いくかさなりの尽法を呑却せりとも、これ莫作の解脱なり。」(「諸悪莫作」)

この二文とも、主体のゼロ点において「法の深信」(「直に(業識の)根源を截るも人未だ識らず」「これ莫作の解脱なり」)と「機の深信」(「忙々たる業識幾時か休せん」「諸悪たとひいくかさなりの尽界に弥淪しいくかさなりの尽法を呑却せりとも」)とは、逆限定的に同一にして「機法一如」なのである。

 従って結論から言えば、真宗のみならず道元禅もまた表現の裏面において、愚者の徹底的自覚の要は求められていると見なければならない。この点、禅仏教徒も人間である限り、真宗からも罪の自覚を学ばねばならぬと思うのである。

 

(四)

ここであらためて仏教における浄土門の念仏の法門の歴史を一瞥しておこう。そもそも浄土門の念仏の流れは、天竺の馬鳴めみょう、龍樹、世親、唐土曇鸞どんらん道綽どうしゃく、善導と次第する。日本では、空也源信良忍と続く。この流れは、釈迦牟尼仏の慈悲の法体として浄土に住むという阿弥陀仏が、念仏門の本尊として仰がれた。「阿弥陀」とは無量寿の法の意、「仏」とは覚の意である。その日本に於ては、念仏宗は最初はまだ他宗に寄寓して行われ、独立した一宗ではなかった。奈良時代から平安時代にかけて、その当時は叡山の天台宗本山の霊場常行三昧堂が設けられ、常念仏の行が励まれたのである。法然親鸞も、かつてはここに縁を結んだわけである。平安期中期になって慧心僧都そうず源信は、『往生要集』の大著をものして念仏の宗風を一世に靡なびかせたのである。彼がもっぱら唱えた念仏には二つの段階が考えられた。一つは心に仏を観ずる観仏(憶念)であり、一つは仏を称える六字(南無阿弥陀仏)の称名(口業念仏)であった。源信はそのいずれをも人々に勧めたが、観仏は上根の者の修する念仏であり、称名は下根の者に与えられる観仏より低い念仏として考えられた。しかし鎌倉時代になって、法然(1133-1212)によって称名念仏を第一とする念仏宗が寓宗の位から新しく独立の一宗として「浄土宗」と名づけられ、開宗の宣言をすることとなった。それは旧仏教に対する反逆的戦闘的宣言であった。私があらためて浄土門の念仏の仏教史を調べたとき、大いに驚嘆し感嘆の心をゆり動かされたのは、法然上人の一切衆生を救わんとする命をかけた誓願の強さであった。それは単に彼自身の誓願というより、彼の存在の底から彼自身を全的に突き動かした阿弥陀仏自身の大悲、本願の廻向によるものであった。彼の開宗宣言は死を覚悟のものだったのである。実は、その当時までの仏教は、鎮護国家のための仏教であり、天皇や貴族というエリートのための仏教として国家権力の下、国家公務員として生活は保障され、虐げられた下品下根の多くの衆生のためではなく、大方は、自己の立身出世を目指すものでしかなかった。だから道元禅師の『学道用心集』の特に第一章に繰り返し激しく批判しているように、当時の学僧たちは、ただ名利名聞を求めてゆく教学でしかなかったのである。まさにそれは末世の様相を呈した頽落した仏教の歴史的状況下にあった。その中で、当時智恵第一とされた法然上人の比叡山三十年間のうち、四三歳になって、中国の善導大師の『観無量寿経疏』の一文に開眼回心し、念仏以外の行を選捨し、ひたすら称名念仏の道に帰入したのである。彼は『選択せんちゃく本願念仏宗(当時六六歳。公開は死後)を著して、困窮した一般大衆を忘れた従来までの聖道門の仏教を徹底的に批判したのである。そこでは、末世の時代釈迦伝来の仏教の根幹であった自力的な発菩提心をも自己自身の内面の罪の自覚を通して否定し去り、果敢に旧勢力の聖道門の仏教と対決したのである。そしてひたすらこの世の底辺で生きる民衆の救いのために専修の称名念仏によって、浄土門の仏教の寓宗からの独立を宣言したのである。この称名念仏はよく大衆の心をつかみ、一気に世間に流行していったのだが、しかしそれはあまりに過激で戦闘的であったために、多くの誤解を受け、当時国家権力と一体化した南都北叡の旧仏教から迫害されて、挙句の果てその専修念仏は停止された。そして法然の弟子たちは死罪や流罪にあい、法然自身も七五歳にして僧籍は剥奪され、四国に配流されてしまった。そして七九歳にしてようやく上洛を許され、翌年には死去という大事件が起きたのである。しかし念仏の浄土門の歴史の流れからすると、釈尊以来の聖道門の自力による菩提心や修行を大胆に選捨し、絶対他力の専修の口称念仏を選択するという上人の死を賭するほどの決断がなかったら、親鸞(1173-1262)真宗は生まれなかっただろうというのが大方の学者の見方なのである。

 その親鸞もまた越後への流罪の憂き目にあい還俗させられた。彼の場合は、当時出家仏教を僧の原則とする歴史的背景の中で、公けに妻をめとり多くの子を設け「非僧非俗の愚禿」の自覚に生き、罪が許されても老いた法然上人のいた京に戻らず、東国にとどまりひたすら賀古かこの沙弥教信(注)の一生に範を見出して彼もまた生涯寺をもたず東国農民と共に生き、七十歳になって独り京に帰りただ寄寓に身をまかせて、『教行信証』の著述と東国農民との手紙のやりとりで称名念仏に勤しみ九十歳の生涯を閉じたのである。彼は一生を通して在家仏教に生き、家庭の悩みは死の直前まで続いた。

(注)〈教信〉賀古の教信又は教信沙弥と称す。光仁天皇の皇子と伝う。もと興福寺の学僧、唯識因明に精通す。のち営利を捨てて播州賀古に隠れ、西方に墻しょうせず、本尊を安ぜず、聖教を持たず、妻女を帯し非僧非俗の形にして常に念仏す。人呼んで阿弥陀丸という。貞観八年(866)八月寂。親鸞聖人深く敬仰し、自らその定といえり。(宇井伯寿『仏教辞典』)

 中国では法然の師善導でさえ浄土門の念仏行を強調はしても、聖道門そのものまで否定することはなかった。法然によって既成の聖道門の自力仏教が無視してきたいかなる下品下根をも救わんとする阿弥陀仏の大悲の誓願による口称念仏は、後述するように悪人正機説として世の中に大きく広まり、彼の下に卓越した門弟たちも多く集まった。その門弟たちの中で今日まで残っている浄土門は、浄土宗として聖光の鎮西ちんぜい(「二類往生」といって、念仏行でない行にも往生を認める立場)と証空の西山派(念仏の行のみに往生を認める)親鸞浄土真宗であり、親鸞自身は一宗を起こす意向はなかったのであるが、法然の他力門の教えを純化し、一切の自力的要素を棄て去って、念仏の信心を重く見て、念仏行は信の一念に結晶され、それは報謝の念仏として生かされていった。そして足利時代に出た蓮如上人によって真宗はとみに栄え、念仏門中最も巨大な一宗となって今日に及んでいる。しかし念仏宗はそれで終わらなかった。現代の我々には親鸞浄土真宗浄土門仏教の代表格として知られていて、とかく忘れられていたのが一遍(1239-1289)の念仏なのである。この一遍によって念仏の意義は究竟の点まで高められ、念仏独一の法門に達したことは、柳宗悦の『南無阿弥陀仏(岩波書店)を通して知られたのである。

 現代浄土門の教学者たちも親鸞真宗は高く喧伝されても一遍の時宗はあまり紹介されてこなかった。それは蓮如上人の見事な教化活動によって影の存在になってしまったこともあるが、一遍自身が彼自身の著述を一切焼き捨てて「白木の念仏」のみにすべてを捧げて一生を全国に遊行し、短命(五一歳?)で終わったことや、時宗の寺々が焼却して残り少なになったことにもよるのである。そして親鸞も一遍も一生を寺をもたず念仏で一生を終えた教信の生き方に習ったものとされているのである。その一遍の活躍された時代は、道元日蓮が多忙であった時期にあたる。

 ともあれ、鎌倉時代に輩出した多くの偉大な高僧たちのうち最も日本的な宗教体験を示したのは浄土門の仏教であって、未だ印度にも中国にも見られなかった念仏専修の法門は、日本文化の示す最高峰の一つとして、「民の宗教」「在家仏教」として強調されたことは、ひとえに柳宗悦の力説によるのである。

 

(五)

 浄土真宗の宗旨は、総じていえば、「如来衆生との根源的関係」を根本的課題とするものである。その根源的関係とは、端的に言えば「対立即包摂の関係」にある。その対立とは、煩悩熾盛の堕地獄の衆生とそれを無条件に救わんとする阿弥陀仏の本願廻向であって、その対立のままの包摂とは、衆生を摂取不捨せんとする大悲的救済である。この仏の救済の道は、修行によって直接成仏せしめんとする禅仏教と異なって、阿弥陀の浄土に往生せしめてから、衆生を救済成仏せしめるのである。前述した通り、衆生は根源的に自己中心的な我執の故に、自力では仏の本願を信ずることができず、どんなに努力しても反仏的反涅槃的たらざるをえない。たとえ人間界で善人と言われ得ても、その善は我執に染汚した善にすぎず、仏の大悲の眼からみれば、すべて一切衆生は例外なく凡俗の悪人である。だから弥陀の誓願は、「悪人正機説」とまでいわれるのである。このような衆生を救わんためには、絶対不動にして動、絶対無相にして相なる仏(法性法身)自らは絶対否定的に罪悪ぐるみの衆生に同事行を行じなければならない。それが、一切衆生の身になった法蔵菩薩である。この法蔵菩薩は、『大無量寿経』によれば、ある国王が世せい自在王仏の説法を聞いて翻然として王位を捨て国土を去り、一沙門の身となって名を法蔵と改めた。そして衆生済度のため、五劫という長い間の苦しい修行と思惟を重ねて、済度衆生のための四八条の誓願をたて、ひたすら仏土(安楽界・極楽浄土)の具現を求めた。その修行の結果、菩薩の位から如来の位に入ってこのかた十劫を経たと、経文に記されている。これを「十劫成仏」といい、同時に「久遠実成くおんじつじょう」の阿弥陀仏ともいうのである。こういう経文を読むと、法蔵菩薩とは架空の人物であって、単なる創作された神話ではないかと疑われるのである。よく宗教自体には様々な神話があるが、それを単なる創りもの、せいぜいただの譬喩として顧みることをせずして終わるのが、現代の科学的知識の上で生きている我々である。しかしかかる神話には、実存的な立場に立って、この有限な人間の世界(世界内存在)を超えて、この世界の彼岸この世界の地平の先に、無限の開けのあることを大乗仏教は教えるのである。それが、見ることも考えることもできない、非対象的な絶対無あるいは空の世界の存在である。この空の立場からすれば、仏はそれに属し、人間としての法蔵菩薩はこの世界内存在の一代表として非神話的に考えることができるのである。即ち法蔵菩薩とは、我々の自己存在に類比せる人間として見ることができる。つまり世界とは、仏の属する世界(世界ならざる世界)と人間を含めた一切衆生の属する歴史的世界と二重の世界と考えられる。しかも前者の世界は、人間には知られざる見えざる非思量の世界であるから大抵の場合無視され、この閉じられた此岸的な世界の中で一生を自己中心的・我執的に生きているのが現実なのだ。この歴史的現実の世界では、人間はたとえどんなに科学が発達し理性知の立場の限りを尽くして生きたとしても、二見分別(自他・能所・先後・差別)の世界を超えられぬ。それにひきかえ、見えざる仏の世界には、般若智あるいは無分別智による大慈悲行によって、この世界のあらゆる価値観や意味を転じ、この世界の善悪強弱先後の差別を差別ながらに無差別とする、絶対矛盾的自己同一の弁証法的な摂取不捨が働いているのだ。この見えざる世界の事実(真実)を単に知識として知るのではなく、渾身知することを覚とも信知とも成仏ともいうのである(往々にして学者を含めた我々は二見分別にとどまって思惟の自由がきかなくなってしまい、死せる知に終わりがちである。だから罪悪といっても倫理上の罪悪しか見えず、宗教的罪悪は全く思いもつかない)。しかしこの見えざる世界、その大悲の働きは、我々衆生からは遠く離れた単なる外在的超越の彼方にあるのではなく、この世界に今ここに生きる我々の自己の脚下、今ここの自己存在の根底に、内在的かつ超越的(自己自身の成り立つ根源・無底の底)に常に働いているのである(補注)。その内在的超越的力を、聖道門の禅仏教では絶対自力の全自己とも、尽十方界自己の光明ともいい、浄土門ではそれを絶対他力とも本願廻向とも言っているのである。

 浄土門では、この内在的かつ超越的な働きをする仏を、法性法身とも方便法身ともいい、どちらも形のない見えざる世界に属しているが、後者の方便法身(浄土門特有の仏)は、内在的超越的働きと同時に外在的超越的にも働いて個々の衆生に直接的に対応してその衆生を救済しようとするのである。その働きによって法性法身という絶対無・空そのものにとりついで、一切衆生に法性法身の実在を知らせ、それに直接面することを役割としているのである。この方便法身である阿弥陀仏は、具体的に直接個々の一切衆生に対応して同事行を行ずる仏として、浄土門ではこの方便法身としての阿弥陀仏を「誓願一仏乗の真仏」とし、一切衆生がこの真仏の本願招喚の勅令を通じて念仏をもって法性法身と一味になる道を開いたのである。

補注

以下は星野元豊著『親鸞と浄土』を参考して私なりにまとめたものである。

見えざる世界(法身・真実・般若智・大悲)には法性法身と方便法身とあり、曇鸞の浄土論註によれば、「法性法身に由って方便法身を生ず、方便法身に由って法性法身を出す」とあり、両者は不一不二、互いに絶対否定を媒介として相入関係(逆対応的関係)にあり(第七節参照)、法性法身は絶対無(空)そのものとして絶対の不動にして動、方便法身は方便仏にして且つ逆説的に衆生にとって真仏。法性法身の立場からすれば、法性法身は二方面に自己を限定する。一方は外在的天上的に上から下の一切衆生に向かって方便法身の働きとして働きかける。他方は地下的内在的に十方微塵世界と一切衆生の心そのものとしてあると同時に、方便法身の世界にも歴史的現実界にも生きて働くのである。従って地下的働きは、本来的には法性法身であるのに対し、外在的天上的に働く働きは、方便法身の働きである。後者の方便法身は、まず迷妄の凡夫に耐え得べきものとして本来、現実的具体的に個々の衆生済度は名号の呼びかけとして凝縮される。それが、「尽十方界無量寿無碍光如来」としての浄土の阿弥陀仏である。この阿弥陀仏はより具体的に言い直せば彼岸の彼方から現実の衆生に浄土を願生せしめ、衆生の主体を絶対否定することによって弥陀自身に対する帰命を命じて働きかけるのである。この衆生への絶対否定の実現は一切のものの仏の自己表現そのものと化し、一開一落、飛花落葉すべてこれ仏のよびかけの表現となる。「まことに空にさえずる鳥の声、峯より落ちる滝の音、草むらにすだく虫の音、すべてこれ方便法身の自己表現にほかならない。それはいま南無阿弥陀仏という六字の名号に凝縮されて我々に迫っているのである。このよび声に呼応するものは個としての私である。よびかける個としての弥陀とそれを受けとめる個としての私との触れ合いの瞬間(第六節参照)こそ南無阿弥陀仏の現実における赤裸々なる全現である。」(同書より)

 

(六)

 こうして浄土真宗では、如来衆生との関係において、いかにして罪悪深重煩悩熾盛の一切衆生が救われるかということが根本問題であった。総じていえば、その衆生済度は阿弥陀仏の本願廻向によって真の信心が衆生に与えられることによる。そのことによって衆生が真の信心を獲得して不退転の位につき、阿弥陀仏の浄土に往生し、無性の証を得ることに帰結する。これが本願廻向の「往相おうそう」であり、その「往相」は同時に、衆生済度のため、この歴史的な現実世界に「還相げんそう」せしめられるのである。(「謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の廻向有り。一には往相、二には還相なり。」)それが自利利他行なのである。この本願廻向という一つの概念が浄土真宗の全体を包括しているのである。くり返し言うことだが、衆生が済度されるためには、衆生が真の信心を獲得することが根本的な課題である。ここで真の信心とはどういうものか。それは普通に考えられるように、本願廻向を対象化して、それを信ずるといういわゆる自己の意識作用をいうのではない。信とは、我々の自己の全身心を本願廻向に帰入して自己のゼロ点において本願廻向そのものと化し、無限の開けのうちに絶対自由を得ることである。その意味で、信とは根底的に覚でなければならない。しかしながら、繰り返し言うことであるが、我々の自己は、一切のはからいをやめてゼロ点になることは絶対にできない。根源的に根本無明から抜け出せないからである。念仏行の「南無阿弥陀仏」の「南無」とは善導や法然までは、文面通り、我々の自己が自力的主体的に「仏に帰命する」という意味だが、浄土真宗では仏の「本願招喚の勅命に帰命せよ」ということであった。しかしその勅命に自力(意識的次元の意志)では決して帰命できないのが衆生の現実である。従って衆生が自己の我執を離れ、主体のゼロ点そのものとなって真の信心を得るためには、阿弥陀仏絶対他力によって衆生の我執とその自己中心性が絶対否定されなければならない。真の信心の成立は唯一的な衆生の実存的個と、それに対応して救済せんとする絶対主体の個としての阿弥陀仏との直接的なかかわりによる。それはまさに阿弥陀仏のみずからの絶対否定(絶対無)による一方的な同事行の大悲行による一刹那の出来事であって、それは衆生にとっては全く偶発的である。より具体的に言い直せば、衆生の個の尖端と阿弥陀仏の個の尖端とが触れ合うまさにその時、衆生は絶対否定的にゼロ点そのものとなる。そのゼロ点(絶対無の開け)において、本願廻向による仏の信心は転じて、衆生の信心となり、衆生は無にして真の信心を得ることができるのである。(「信楽に一念あり、一念とは斯れ信楽開発の時剋の極促を顕わし広大難思の慶心を彰わす。」(『教行信証』信巻)「一念といふは信心をうるときのきわまりをあらわすことばなり。」(『一念多念文意』