罪障観における道元禅と親鸞教とのあいだ

罪障観における道元禅と親鸞教とのあいだ              唐子正定 2022.8       

 

道元禅師の罪障観と衆生済度           

 以下のことばは、『正法眼蔵』「行仏威儀」中の道元禅師の独特な罪障観と徹底的な衆生済度の説示が示されていて非常に難解である。

諸仏いはく、此輩罪根深重しはいざいこんじんじゅうなり、可憐憫者かれんみんしゃなり。深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり。この深重担、しばらく放行ほうあんして著眼観ぢゃげんかんすべし。把定はちんして自己を礙すといふとも、起首にあらず。いま行仏威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるるに、拕泥滞水の活路を通達しきたるゆゑに無罣礙なり。上天にしては化天す、人間にしては化人す、華開の功徳あり、世界起の功徳あり、かって間隙なきものなり。このゆゑに自佗に逈脱けいだつあり、往来に独抜あり。

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〇はじめに

 まずこの行文参究の前に、道元禅師自身の立脚している正法眼蔵の立場をしっかりと会得しておかねばならない。ここに掲げた本文中の前文には、以下のような説示が見出される。

「行仏の威儀を覰見ちょけんせんとき、天上人間のまなこをもちゐることなかれ、天上人間の情量をもちゐるべからず。」

「ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量せる家門、かれこれともに仏子と許可することなかれ。これただ業報の衆生なり。いまだ身心の聞法あるにあらず、いまだ行道せる身心なし。」

ここには「仏法」と「人法」との対比があって、仏法は人法では把捉できないということが語られている。その仏法とは何か、ここでは「行仏の威儀」とあって端的には「只管打坐」に代表される。それは「身心の聞法」「行道せる身心」であって、単なる人間の感性や理性の立場による「業報の衆生」の業作ではない。業報とは衆生の我執による主客能所の二見分別の作為の世界であって、人間の理性がいかに主観的要素を否定した普遍的立場だといっても、二見分別を超えた究極の立場ではない。仏法とは空の場の般若智や大悲心の立場であって、渾身心による聞法であり、一方究尽の三昧的行道である。総じていえば、仏法と人法との根本的相違は、人間主体が絶対否定されて自己のゼロ点(これが仏法の原点である)において「もの」と「自己」との逆対応的関係が成り立つ処である(注)。この点を念頭において以下の本文を読むこととする。

(注)

「行仏威儀」の巻には、「仏縛といふは菩提を菩提と知見解会する、即知見即解会に即縛せられたるなり」とあった。「菩提をすなはち菩提なりと見解せん、これ菩提相応の知見なるべし。たれかこれを邪見といはん。」これが理性の立場である。ところが仏法は、理性自体のとらわれをも脱して、「菩提は菩提にあらず、故に菩提なり」という背理と逆説に徹してゆく(即非の論理)。つまり、「菩提即煩悩・煩悩即菩提」という絶対矛盾的自己同一に帰する。

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 諸仏いはく、「此輩罪根深重なり」は、本文中では前文「ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量せる家門」の人間理性の立場から、「凡夫外道の本末の邪見を活計して、諸仏の境界とおもへるやから」を指すが、もともとこのことばの出典は『法華経』「方便品」中の以下のことばによる。「舎利弗が世尊に対して三たび説法を懇願したので、世尊が此の語を説きたまう時、会の中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の五千人等ありて、即ち座より起ちて仏を礼して退けり。所以ゆえは何いかん此の輩ともがらは、罪根深重にして、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂おもい、未だ証せざるを証せりと謂えり。かくの如き失とがあり。ここを以て住せざるなり。世尊は黙然として制止したまわず。」「退くも亦また可なり」とも言われたという。また、「可憐憫者なり」は、『楞厳経』から取り入れたもの。 

 さて、「諸仏いはく」つまり以下のことばは、諸仏の立場に立たなければ言われない大悲心のことばである。「此輩(この連中)の罪根(人間存在の根源に働く無限衝動としての根本無明)深重なり。可憐憫者なり(罪根深重からも脱落する道の開けているにもかかわらずそれに気づかぬ気の毒な連中だ)。」といわれる。ここで以下の説示は、この「罪根深重」とは何か、その真実の参究が求められている。

 「深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり。」この「深重の罪根」は、前文にあった、此輩の本末等の断常の邪見・悪見・顚倒の見解の生起がそこから成り立つ人間存在の根源に働く根本無明を意味する。この根本無明とは、自己存在の根源に働く人間の自己中心性であり、身口意の三業に働く自己内閉鎖的な自由意志である。(補注(1)参照)

 さて、「深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり」という本文中、「たとひ無端なりとも」という逆説の表現に注意しなければならない。つまりこの「深重の罪根」が「無端」という無始無終という無限の相にあっても、その無限の相には二つの相反する立場が含まれている。それは虚無と空との立場の二義性である。つまりこの人間の世界、いわゆる「世界-内-存在」としての三界の宿業は無限な相において虚無的事実であるけれども、にもかかわらず刹那に生滅するいまここの時と業作のうちに、始めなき始めと終りなき終りとが同時的だという意味では、絶対現在の空の場のうちにあるのである。深重担の此輩にはこの絶対現在の自得の事実が自覚されていないということである。そこに虚無の立場と空の立場での自覚の分かれ目がある。「行仏威儀」の本文中前文には「仏仏正伝する、大道の断絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨、ひとり仏道のみに正伝せり。自余の諸類、しらずきかざる功徳なり」とあった。つまり「仏仏正伝する大道」は、「断絶を超越し、無始無終を脱落せる宗旨」であった。いいかえれば無始無終の宿業は、刹那生滅のイマ・ココにおいて、根本的な転換点にあったということである。いまここの時と業作の直下に、身心脱落・脱落身心において無始無終を脱落して「一時即一切時」「一切即一」という転換点を意味していたのだ。それを深重担の此輩は自覚していない。つまり、「深重の罪根たとひ無端なりとも、」にもかかわらず、いまここの瞬間において、無端は脱落して始終同時として働いていたのだ。言い換えれば、「不昧因果」即「不落因果」の「即」の立場に立脚していたのだ。無限の相における因果歴然は「即」(同時的に)因果脱落の二重性のうちにあった。「深重の罪根たとひ無端なりとも」という逆説表現は諸仏の立場からの道元禅師の大悲の発言だったのである。そこでは既に深重担から解放され、無碍自在な自由の道が開かれていたのである。従って、くどいようだが、「たとひ無端なりとも」ということばには、文中の「此輩」には、いまここの自己自身の存在の直下において、永遠の生たる絶対自由な空の立場への道が開かれているにもかかわらず、それに逆らってという意味が含まれていたわけである。だから彼らはどこまでも無限衝動による自己中心主義的自己閉鎖的な意志を貫いて、虚無の場の永遠の死への道を進んでゆく輩であり、自ら深重の罪根を背負い込み、自己みずから深重な荷物そのもの(「深重担」)と化してしまっているというのである。「可憐憫者なり」ああ何とあわれな人たちだろうと、心底からの深い大悲心のことばが発せられる。

 次に、「この深重担、しばらく放行して著眼観すべし。把定して自己を礙すといふとも、起首にあらず。」

以上のことばは、道元禅師が「此輩」に向かって、空の場に立って彼ら自身の「深重担」から脱却して、それからの解脱と自由への道を説示しようとしているのである。空の場とは、自己のゼロ点(自己の存在と意識のゼロ点)の動力学的転換点において開かれている。それは「放行」と「把定」との相互に逆対応的な「行」の二方面である。 

 だから本文「この深重担、しばらく放行して著眼観すべし」というのは、吾我の意志意欲の放下による自己のゼロ点に開かれている空の場に立脚して、この深重担そのものをありのままに全身心をもって「著眼観すべし」しっかり見直してみよ、というのである。空の場の自己のゼロ点(吾我の絶対否定点)の転換点に立って、つまり吾我の宿業果である深重担の方からではなく、その転換点に直接する逆対応的な「行仏の方より能々よくよく参学し見るべし」「この深重のすがた、無自性なるうへは、行仏威儀の現前する時、更に不可斉肩と也」(『御抄』)。つまり、「放行」によって行仏の方からこの「深重な罪根」が「行仏威儀の現前」に転換されるというのである。尽界行仏威儀の現前のみで、その外に残すべき罪根なしというのである。不見一法、不可得の行仏威儀の実相のみ。これが、「この深重担、しばらく放行して著眼観すべし」の結果である。

 「把定して自己を礙すといふとも、起首にあらず。」前文の深重の罪根の「放行」によって、深重の罪根は尽界行仏威儀の現前に転換されてしまうのに対し、「把定して」というのは、空の場におけるこの「深重の罪根」の参究である。つまり、深重の罪根の方から逆対応的に自己(行仏上の自己・空の場における自己)をとらえて深重の罪根と一つになり、尽界罪根そのものぎりとなっても、(「把定して自己を礙すといふとも」)その罪根そのものは無自性にしてはじめとなる原因も根拠もない(「起首にあらず」)。つまり空の場においては、罪根は無始無終にして、尽界罪根のみ、罪根の一法究尽、罪根の絶対独立である。そのとき罪根という自性もないのだ。前文において「いまの把捉は放行をまたざれども、これ夢幻空華なり」とあった。把捉は把捉で独立、(逆に放行は放行で独立、)他を待たずして、空の場においてすべて無形相の形相、無自性の自性として現前していることを「夢幻空華」というのである。前述したように、この「夢幻空華」は世間普通の意味でたよりなくはかない単に消極的な意味なのではなく、空の場における転換点の夢幻空華として、行仏威儀の実相真如と表裏一体の逆説的に肯定的な形相である。

「この罪業法性の円融無際、いまにはじめたるにあらざれば、起首にあらずとなり」(『私記』)。つまり空の場においては、罪根にあって(不昧因果)罪根を解脱し(不落因果)、脱落の罪根として法性の行仏威儀の現前と表裏一体である。これは道元禅師独特の罪障観である。

 「いま行仏威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるるに、拕泥滞水の活路を通達しきたるゆゑに無罣礙なり。」これは前の悪見の因縁によって罪根深重担の凡夫に対して、「いま行仏威儀の無礙なる」行仏威儀は常に「いま現前」の話である。その今の行仏威儀の無礙とは、仏を向こうにおいて見るのではなく、自己が絶対否定的に全体行仏にによって行仏そのものになりきって(「ほとけに礙せらるるに」)「拕泥滞水の活路を通達しきたるゆゑに無罣礙なり」「拕泥滞水」とは、水びたし泥だらけになって衆生済度のために同事行に徹すること、いわゆる和光同塵して入仏入魔自在の生き方である。言いかえれば、仏の大慈悲心がみずから衆生となって、七転八倒の苦(拕泥滞水)そのものの直下に出身の活路を見出して自由自在の大道を生きぬくこと、いわゆる「遊戯三昧」の生き方だから、それを「無罣礙なり」という。この衆生済度の同事行は、衆生の迷苦を一身に受けて、苦の現身の直下に苦からの解脱を見出し、みずから「現身即度生」を身をもって衆生済度を実証してゆく道である。 

 次の「上天にしては化天す、人間にては化人す。華開の功徳あり、世界起の功徳あり、かって間隙なきものなり」は、『御聴書抄』の’化’の注解がすばらしいので、そのままここに載せる。

「上天化天の化と云へば、仏は能化の主、天上人間まで化衆生(し)(ふ)とこそ心得るを、今の化と云は、上天を指(し)て化とは云也、人間を指(し)て化と云ふ、故に彼の各々土に能化の仏御おわして化衆とは不可心得、此化は能化所化なき化也、此道理を花開世界起とは被云いわれる也、是れを無間隔とも談(ずる)也、法華経に化一切衆生、皆令入仏道の化をも、やがて(そのまま)衆生を化と心得(る)也。衆生仏を置(い)て、仏衆生を化し給(ふ)とは不心得也。」

要は理性の立場から、仏の能化と衆生の所化との二見分別的な化度を’化’というのではなく、能所の化を超越した絶対的化という大用のうちにすべてが含意されるという禅仏教的発想である。「花開世界起」も花(個物)と世界(場所)との二見分別を超える空の場において「身土不二」の無間隔をいう、「このゆゑに自佗に逈脱けいだつあり、往来に独抜あり。」仏と衆生と、自佗二見の脱落をいい、「往来に独抜あり」は「達磨東土に来らず、二祖西天に往かず」で、身土不二で尽界を指して達磨といい、尽界を指して二祖というのでともに往来を絶した処が空の立場の表現である。

 

補注(1) 根本無明について

 根本無明については、『大乗起信論』では、「忽然念起」という言葉で捉えられている。いつ、どこからともなく、唐突に心の深みに働く妄念の起動の事態をいうのである。「たちまち、そこにものが生起する。ただ忽然と、ものが現れるのだ。何かが認識されるのではない。まだ主体も客体もない原初的状況だから、誰かが何かを意識するということはない。ただ何かが生起するだけ。主客未分、認識以前、前認識的状態である。」(井筒俊彦『意識の形而上学』(中央公論社)) この妄念の初発点としての深層意識を「業相・業識」というのだ。論者によっては、仏教は原罪ともいうべき悪そのものと悪そのものの結果(業報)としての悪との区別がなく混同の余地があるという批判もあるが、その批判は当たらない。前者は「根本不覚」(形而上学的根本的無知)であり、後者は「派生的不覚」という表層的実存不覚であり、「五蓋」(貪欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑。蓋とは心性を蓋覆して善法不能にせしめるもの)と言われているのに対し、前者の根本無明は「第六蓋」と称される。真の仏祖道に至るには、この五蓋のみならず、第六蓋をも脱落した処に開かれ、その具体的行が無所得無所悟の只管打坐である。(参照『宝慶記』)

ついでながら、「直じきに(妄念の)根源を截るも、(本来一切衆生悉有仏性)人未だ識らず、茫々たる業識幾時か休せん」(「正法眼蔵 仏性」)の業識も根源的な深層意識に属し、表層意識に属す情念(愛欲・憎悪・忿恚・侮蔑・嫉妬・懊悩等)としての「煩悩」とは区別される。この「煩悩」は『大乗起信論』では、言語的凝固体としての「計名字相けみょうじそう」に相当する。(詳しくは『大乗起信論』を参照のこと。)

 

補注(2) 罪障の懺悔行について

 ここで「罪根深重」に関連して、序ついでながら、前述した『華厳経』「普賢行願品」中の懺悔文「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔」を参究しておこう。この懺悔文でも、諸悪業は「無始の貪瞋痴に由る」といわれている。この無始とは起首なしの無始無終の時である。そしてその諸悪業は身口意の三業において、自己中心にして自己閉鎖的な貪瞋痴の無限衝動によるものとされている。ここでくり返し銘記しなければならぬことは、無始無終の罪業罪根の究極的な始めと終りは、逆説的にいまここに刹那生滅する有為の罪業の直下に来ていることである。真実の懺悔は刹那生滅する罪業の瞬間即絶対現在に全身心を託し、全身心が絶対現在そのものと化する処に成り立つのである。この自己の罪障の懺悔の具体的な行道については、『普賢経』に以下のような一文が見出される。「一切の業障海は皆な妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思へ。衆罪は霜露の如し。慧日能く消除す。」

 (注)この経文の注解は、『仏祖正伝禅戒鈔』(経豪著)から長文ながらここに挙げて参究に資したいと思う。*1しかし衆生が無にして真の信心を得るということは、方便法身衆生を絶対無(空そのもの)たる法性法身に面せしめ、その存在を知らしめることであった。しかもそれによって衆生をして無にして(大死)法性法身のうちで復活し(絶対否定即絶対肯定)、本来的自己の自覚に生きさせることである。こうして、法性法身衆生を取り次ぐ外在的超越的な働きをする阿弥陀仏の役割は終わるのである。つまり衆生が真の信心を得ることと法性法身に面して死して復活することと、阿弥陀仏が絶対否定的に(逆対応的に)法性法身のうちに消える(相入関係)こととはすべて同時的なのである(後述)。この同時的ということは、時間(無常)が永遠(有常)に触れてそれと融け合うことによって、一面では時間が消えて永遠となると共に、他面では永遠の中に摂せられながら生死の流れを続けるという時間の二重性(無常と有常)は、絶対現在の瞬間(「信楽開発の時剋の極促」「信心をうるときのきわまり」)を意味しているのである。

補注

このことは『正法眼蔵』「現成公案」の最初の一文「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり」にも相応する。この一文中「諸法の仏法なる時節」とは、諸法という「無常」が仏法という「永遠」に転ずる瞬間を意味している。その「時節」においては、以下の事項は例えば、迷悟は、単なる夢幻空華の現象ではなく、仏の迷悟として、脱落の迷悟となる。それは、大迷(迷也全機現)大悟(悟也全機現)として本来的創造的な絶対事実に転依せしめられることである。「修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり」の以下の事項もいちいち同様に積極的肯定的な脱落せる実相の事実に転ずるのである。従って浄土真宗の「真の信心の獲得の時」と「現成公案」の「諸法の仏法なる時節」とは通底するのである。

 少し長引いた説明になってしまったが、親鸞の絶対現在における時の二重性の把握によって、従来の法然までの浄土観が、臨終来迎の時まで待ってから浄土現前するのではなく、念仏行は今ここでの現在中心の平常底において安楽界(浄土)に生き得るという、平生業成へいぜいごうじょうの宗教が創造されたのである。(「如来より御ちかひをたまはりぬるには、尋常の時節(絶対現在としての今)をとりて、臨終の称念をまつべからず。」)  

 

(七)        

 これまでで既に長引いた論説になったが、今までの中で言い残した事柄が二つあった。一つは、第三節で禅仏教も「法の深信」を強調するだけでなく、その表裏一体として「機の深信」の自覚も求められるということに言及した。それに関連して『正法眼蔵』「仏向上事」の巻には、「洞山、衆に示して云く、仏向上事を体得して、方まさに些子語話さしごわの分有り。」つまり、禅では、仏向上ということを体得して初めて話をする資格があるというのである。そして「須らく仏向上の人有ることを知るべし」と示衆したのである。「如何なるか、是れ仏向上の人」とある僧が問うた。「非仏」と洞山は答えた。この「非仏」というのは、単に仏でない人というのではなく、仏というものを踏まえながら、もう一歩進み出ている人間の問題である。仏の境界にも執着しない、無住処涅槃のことである。だから「非仏」とは仏でないからといって凡夫だというのでもない。仏にも凡夫にも、涅槃にも生死にも不染汚である。要するに人間主体のゼロ点において「法の深信」と同時に大悲の光に照らされた悪人としての「機の深信」でもある。つまり仏向上人とは、法の深信のみならず同時に機の深信をも体得した人間を意味している。この点について、『風のこころ』(西谷啓治著)の「信仰について」という文章の中で、アッシジの聖フランシスのことが載っている。その話の趣旨を要約すると以下の通り。(参考『絶対無と神』(南山宗教文化研究所編、春秋社)) 

フランシスがレオという弟子と一緒にある町へ行く途中で、彼に話しかけたことば、

「あなたが非常に大きな社会的な影響を与えたり、あるいは学問的な成功を遂げたり、あるいは宗教的にすぐれた指導者になっても、それで完全であるということはないんだ。彼らは非常に寒い日に雨の中を旅をしているのだが、目的地に到達して門番に入れてくれと頼んだときに、その門番が「お前たちのような、人をだましているような極道な人間は入れてやらない」と言う。そのときに、聞いている自分たちが、門番が言っている通りだと、自分たちのような極道な人間はあたたかく迎えられるような値打ちがないんだということを本当に思って、その門番が言っていることは神の言っている言葉だと受けとって、そして本当のへりくだりの気持ちを持ったならば、そこに本当の完全なる歓びがあると。」

この話はフランシスのようなキリスト教の立場からの信仰であるが、真宗のみならず禅宗も「仏向上事」という、いわば全部捨てた、仏も捨てたという立場においては同じ「機の深信」に通じてゆくものと思われる。

 第二に、阿弥陀仏は「十劫成仏」とも「久遠実成」とも言われている。両者とも仏には違いはないが、仏教でいう「空」の捉え方に二面性があるということである。つまり『般若心経』の「色即是空・空即是色」の空の解釈には、相対的否定と絶対無としての絶対的否定との二義が関係している。相対的否定は「色」(境)が否定されるだけでなく同時に「分別心」(受想行識)の否定をも意味し、一切法は幻の如く蜃気楼の如くであることを表している。さらに、「空」もまた執着の対象として否定されて、「非色即非空」の両非によってあらゆる執着は滅してゆく。他面では空は絶対無あるいは真空である。これは般若波羅蜜・無分別智の智的行(あるいは行的智)において深められる絶対否定と同時に、絶対肯定的に一切法が如実の一切法として成立することを意味する。従って「空」は、絶対無の面で「色」あるいは「有」と融即し、相対無の面で「色」あるいは「有」と否定的に対立する。そしてこの融即と対立との二面が二つに分かれないであくまで一つになっていることが、「空」という一字で表現されている。またこの「空」は、一面では「色即是空・空即是色」とひっくり返して言われると同時に、他面では「色を滅して空へ」という方向があって、ひっくり返して言うことができない。従って、「空」のひっくり返される面は、色を空じて空ならしめるのではなく、「色の自性が空である」という般若経の表現である。ひっくり返されない面は「非有非空」の両非として、分別・煩悩を滅してゆく無分別行の深まりを表してどこまでも同じ方向に、即ち究竟の如来地に向かって進む。それに対し、ひっくり返される面は、この絶対否定の行が地々に真如を証することによって地々に究竟に達し、前者の如来地への方向が消されて一切法が如実の相において成立することを意味する。方向的な面は、無方向的な面と相即することによって、絶えずその方向性を消され、無方向的な面は方向的な面と相即していることによって絶対無をどこまでも深め浄めて行くことを意味している。つまり、一歩一歩が動的に弁証法的に完結しながら、相反する両面の相即を行ずるのが般若波羅蜜であり、無分別智である。(この段落は上田義文『大乗仏教の思想』参照要約)

 阿弥陀仏を「十劫成仏」というのは、空の方向的過程的な面からの謂であり、「久遠実成」はその無方向的円環的完結的な面からの謂であると考えられる。この相反する両面の相即を行ずる「行的智」あるいは「智的行」としての般若波羅蜜(無分別智)は、只管打坐行の無所得無所悟の無への一歩一歩の深まりと同時にそのつどの完結した行としてこれらの両方向の相即とも対応するものと考えられる。

 ここで法蔵菩薩の「十劫成仏」といえば、以下のような疑問が生じてくる。そもそも法蔵菩薩衆生済度の誓願は、四十八願のうち第十八願に代表されるものであった。つまり、その誓願は、一切衆生が「南無阿弥陀仏」の念仏を行じて阿弥陀の浄土に生まれない限りは、法蔵菩薩自らは決して成仏しないということであった。ところが経典では、その法蔵菩薩はすでに十劫の昔に阿弥陀仏として成仏して彼自身の浄土に居るというのである。とすれば、阿弥陀が「十劫正覚」として悟りを得て成仏しえたという事実そのものは、すでに衆生の我々も悟りを得て浄土に生まれてしまっているということを示しているのではないのか。つまり多劫の昔、法蔵菩薩阿弥陀仏となって自らの悟りを達成した時、我々も自分自身の悟りを得たことになるのではないのか。だから、最初から法蔵菩薩の正覚と同時に我々も浄土に生まれ悟りを得てしまった以上、あらためて我々が阿弥陀の名を称えてその浄土に生まれたいと願うことにどんな意味があるというのか。もはや浄土に生まれることを願う必要もないし、南無阿弥陀仏を称える必要もない。すべては阿弥陀が一方的に救ってくれたので、我々はそのためのどんな努力もはからいも必要がないのではないのか、というのである。このような疑問は、まさに若き道元が抱いた疑問と通底するのである。つまり「一切衆生悉有仏性」が真実なら、ことさらに発心修行菩提涅槃の必要はない。すでに我々は仏性の事実の上に生きているのだから。これが当時の天台宗宗学思想にあった。彼の疑問は、中国に渡って師の如浄禅師に出会って、はじめて修行による成仏の重要性に気付き、当時の修行成仏の不要論に逆らって、「仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず。成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参なるなり。」と説示したのである (参照拙著『正法眼蔵「仏性」参究』174頁)。これは非常な難問であって、次節において「仏性と成仏」と同様「法蔵菩薩の成仏と我々の悟りの達成」との逆対応の関係(絶対否定による回互の相入関係)として改めて論及することになるが、「仏の正覚成りしと吾等が往生の成就せしとは同時なり」(『安心決定鈔』)とある通りである。もし衆生を浄土に生まれしめずば正覚を取らぬといった法蔵菩薩の大願と、願成就の瞬間とは、先後の順序のままで同時である。この秘義は空の場における絶対現在において同時という意味である。大願を発した法蔵菩薩は正覚に即する彼として阿弥陀仏となり、この阿弥陀仏の中に衆生の往生は成就されているのである。ただそれに気づかず、また気づこうとしない者がいるだけである。それは後節で言及する通り、理性の立場からではなく、般若智の行的立場から言われることである。空の行的立場に立ってはじめて絶対現在において同時と気づかしめられるのである。そのことは、後の一遍上人によって、「阿弥陀仏の十劫正覚は、一切の衆生の往生は、南無阿弥陀仏と決定する所なり」と断言されているわけである。しかし我々の多くはこの秘義を知らず、ただただ無明の故に我執の故にこの大悲の恩沢に気づかずにいるだけである。

 

(八)

 浄土真宗の宗旨が、「如来衆生との根源的関係」を根本的課題とするものだということであった。その関係が、単なる平面的関係でなく根源的関係であることは、言い換えれば、「世界の成立と我々の自己(衆生)との成立」が、一つの「根源的事実」に基づくことによる。その根源的事実とは、前述したように、見ることも考えることもできない、非対象的な非思量の世界(法界)として、「絶対無・空・仏性」の原事実を意味する。我々の生死・迷悟、一切のこの世界内の事象は、この原事実(空)より生起し、この原事実(空)に還源されるのである。我々の自己は、端的に言って「自我と無我」・「生と死」・「迷と悟」というような自己矛盾によって自己が引き裂かれ、宗教的問題に苦しまなければならない。この自己矛盾の絶対否定によって自己成立の根源に還り、空の場の無限の開け(それを西田哲学では「絶対矛盾的自己同一」という)に転じて、いわば我々の自己の立場の絶対的転換によって、宗教的入信(回心・見性)を得ることができるのである。その原事実そのものは、我々の自己の根底、いまここの自己の直下にあって常に直接的に働いている。我々の自己はもちろん、一切の衆生の存在も、またそれらが置かれている一切の有限な世界も、この原事実の働きである空・絶対無の制約下にあるわけである。従って我々にとって直接的に与えられている事実はこの空の原事実にほかならない。

 その点、滝沢神学では、インマヌエル(我らと共なる神)すなわち「神人の原関係」こそが我々にとって直接に与えられている事実だといわれる。そこに仏教とキリスト教との相違が見出される。しかしこの相違は最初から自明なことではない。なぜなら、仏教、特に禅仏教の側からすれば、キリスト教エックハルトによって、「人格神としての神」と「神そのものとしての神性」とが区別され、我々にとっての神である人格神に先立って、「絶対無」としての神自体(神性)こそが、一切の原事実だと主唱されているからである。しかしこのエックハルトの神観は、伝統的なキリスト教からは、神秘主義的思想として異端視されてきたものであった。それに対し、前者の「インマヌエルの神」は、我らの前に現れた限りの「我々にとっての神」として、人間理性の立場から悟り得た表象された人格神であって、その神人の原関係も、絶対無の場から表象を超えたものとして表象された、いわゆる表象の逆説といわれるものに相当する。それに較べて、後者の絶対無としての神性としての神は、我々にとっての神ではなく、神にとっての神そのもの(神自体)として、その絶対無は、禅仏教と通底するものがあるからである。前者の「神人の原関係」は、創造主の神と被造物としての人間との関係として、両者間には不可分・不可同・不可逆の関係があり、その関係内の人間の自由は、神の絶対的決定によって与えられた相対的自由でしかなく、いわば「絶対被決定即自己決定」という制約下の自由の域を出ないのである。それに対し、後者の神人の原関係は、神の根底と自己(人)の根底とが絶対無の神性に於いて不一不二なるもの(不可分・不可同)と解されている。それは絶対無の場所に於いて互いに相入関係(後述)をなしており、そこでの人間の主体性は神をも突破し絶対自由を生きるのである。神をも突破するとは、「超仏越祖」「殺仏殺祖」をいう禅仏教を連想させる。

 しかし、エックハルトの神学についてのさらなる言及は他の機会に譲って、特に今は禅仏教でいう「空」或いは「絶対無」の立場から、宗教の論理構造を論究しようと思うのである。まず、「空の論理」についてであるが、前節において、「色即是空・空即是色」の「空」は、「非色・非空」の「相対的否定」によって、空の無底性に深まってゆくという過程的意義を有するのに対し、他方「絶対無」を意味する空の場からは、色(有)は「本来的色(有)」として現成するのだということを述べた。(もちろんここでいう「色という存在(すがた・かたちを有するもの)」は、「般若心経」でいう「色受想行識」を代表していわれたもので、「色」以外の他の「識」或いは「作用」も空の場においては、みなそれぞれ、ありのままの如実性・本来性として自得せる円環的あり方においてあるということである。)しかし、絶対無あるいは空の場における「本来的色(存在)」とは、理性的観想的立場から解されるのではなく、「色即是空」「空即是色」の色と空とのそれ自身にとらわれた両者が、それぞれ絶対否定によって、色でない色、空でない空(即非の論理)となった時、互いに相入関係を自由にすることができる。つまり、色は空となり、空は色となって、「色是色」「空即空」(『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」の巻)、つまり「(尽界)色ぎり」「(尽界)空ぎり」の一方究尽の行の論理が成立する。総じていえば、空と色(有)とは、絶対否定即絶対肯定的に回互的相入関係(西田哲学では、「場所的論理」における絶対否定を介する逆対応関係を意味する)にあって、「真空妙有」といわれるのである。

 ここで絶対無(空)とは、前述した通り、見えざる考え得ざる非対象的な非思量の世界(法界)である。世界内の一切の事象がそこに於てあり、そこにおいて働く時空を超えた絶対静にして絶対動である根源的な弁証法的動性である。それは、仏教においては、絶対の真理体を意味した「法身仏」特に浄土真宗では、「法性法身」とも「自然法爾」とも称せられる当体である。それはふつう「絶対無相の主体」として、どこかまだ有的性格を残して解されているが、厳密には、「絶対無為・無相・無体」であって、その体は無であると考えられたそれ自身本質的に覚智の性格をもった般若智・無分別の分別ともいわれる処である。そこでは、世界の万法・万象がありのままに如実に現前する場であると同時に、また人間がそこに還って初めて真の自己の自覚に達する処である。そのためには自己は一切のはからいをやめて主体のゼロ点そのものとなる時、はじめて開かれる無の場所である。

 従って、絶対無(空)とは、絶対の無体として、その実体性を抜かれているので、その場所に置かれ包まれている一切の個(多)のそれぞれも、この絶対無の場所に媒介され、その制約下にあって、初めからその個から根底的に絶対否定を介して実体性が抜かれて、無基体的・無自性的にならざるを得ない。そこではちょうど円周のない絶対此岸の場の上で、それぞれの個がいたる処他の一切の絶対中心(主)となり得ると共に、他の絶対中心の個のための成立契機(従)として、そのつど主従関係を自由にし得る、いわば回互的相入関係にある生きて働く個となるのである。つまりそこでは唯一絶対の個が、同時に「個に対して個である」という相対的個であり、しかも個の存在と世界の存在の成立とが同時であって、互いの両者が絶対矛盾的自己同一的に働く場所が、この絶対無(空)の場所なのである。

 この絶対此岸の場所においては、「仏と衆生(我々の自己)」も、「仏性と成仏」も「本覚と始覚」も、回互的相入関係にあって、固定的な順序の先後は消えるのである(補注)。いわゆる滝沢神学で言う「(不可分・不可同・)不可逆」は認められない。不可逆を主唱するのは、ものを対象化し表象する理性知の立場に捉われた発言と言わざるを得ない。現に、『法華経』「方便品」には、「仏種は縁より起こる」とだけあって、理性の立場からは順序の先後が逆に聞こえるのだが、空の場の回互的相入関係の立場に立った道元禅師は、それに続けて、「縁は仏種より起こる」と付け加えて表現していることに注目したい(「諸悪莫作」の巻)。「言語道断心行処滅とは、一切の言語なり、一切の心行なり」(「安居」の巻)も、この絶対無の場所の絶対矛盾的自己同一の論理である。一切の個々の衆生が、絶対無としての空の場所にあって無基体的な制約下にあることは、それらの衆生衆生を救わんとする如来との原関係もその例外ではない。迷いの衆生と度衆生のための同事行を行ずる如来(菩薩)とは、相互対立的に相働くものとしては、空の場所の自己限定の両端というべきものであって、ともに基体となる実体ではなく、絶対否定されて衆生でない衆生如来でない如来として互いに相入関係(逆対応的関係)にあり、衆生のときは衆生ぎり(衆生衆生)如来のときは如来ぎり(如来如来)となってともに自得する如実性を実現し、会得する。「一切衆生なにとしてか仏性ならん、仏性あらん。もし仏性あるは、これ魔儻まとうなるべし。魔子まし一枚を将来して、一切衆生にかさねんとす。仏性これ仏性なれば、衆生これ衆生なり。衆生もとより仏性を具足せるにあらず。たとひ具せんともとむとも、仏性はじめてきたるべきにあらざる宗旨なり」(「仏性」の巻)。ここで忘れてはならないことは、衆生としての我々の自己はその主体性を絶対否定されて、主体のゼロ点において絶対無としての空の場に開かれていること。だからと言って衆生の罪障は決して除かれていないことである。つまり衆生は罪障のままで救われているということである。特に浄土真宗の教義では、衆生は罪障のままで「横超」的(場所的・円環的・絶対他力的)に瞬時に救われるという、いわゆる「不断煩悩而得涅槃」の成立である。その救いの具体的行が「南無阿弥陀仏」の念仏称名であるという。

(補注)

空の場における仏行の立場、即ち回互的相入関係(逆対応的関係)は以下の文にも見出される。

(1) 諸仏諸祖の行持によりて、われらが行持見成し、われらが大道通達するなり。

 われらが行持によりて、諸仏の行持現成し、諸仏の大道通達するなり。

 われらが行持によりて、この道環の功徳あり。(『正法眼蔵』「行持 上」)

(2) 名号につきて信心をおこす行者なくば、弥陀如来摂取不捨のちかひ成ずべからず。

 弥陀如来の摂取不捨の御ちかひなくば、また行者の往生浄土のねがひ、なにによりてか成ぜん。

 すれば本願や名号、名号や本願、本願や行者、行者や本願といふ、このいはれなり。(『執持鈔』)

 

(九)

 絶対無としての空の場所の論理の説明が長くなって最初の主題から遠ざかってしまった。この辺で閉稿するために、最後に道元禅と親鸞教との異同を最終的に確認しておくこととする。まず第一に、衆生済度についての仏と衆生との関係の仕方について。

 道元禅では、法身仏・報身仏・応身仏の三身は全体的に、即一的で直接的に衆生に働きかけ、衆生との同事行によって衆生自身の根源的自覚を促すことによって度生は成立するが、終局的には、救済する仏と救済される衆生との自他の能所の関係をも超越した処に真の度生を見出している。それに対し、浄土真宗の仏の衆生に対する度生の仕方は、方便法身としての報身仏の阿弥陀仏が応身仏と共に個々の衆生と直接にかかわることによって、衆生を最終的には法性法身(法身仏)にとりつぐ媒介者の役割を演じてゆく。従って衆生にとっての直接的な救済は阿弥陀仏真仏として働いている。しかしその度生の仕方は、救済する主体(阿弥陀仏の本願)と救済される衆生の個々とはどこまでも自他・能所が対立したままである。両者とも「機法一如」としては一であるが、その重心の置き方に、道元禅が「一如」(「仏即衆生」の「即」)の方に置かれているのに対し、親鸞教は、機(衆生)と法(仏)の二分された方に力点が置かれている。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。さればそくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ。」(『歎異抄』)で明らかである。

 なお、この一文で親鸞教の宗旨のすべてが、しかも親鸞一人の実存的立場から、深い感動をもって我々の個々に迫ってくる。それは概念的・理念的な教義の枠をはるかに超えたものとしてよくよく味読し、我々各自が我々の存在の根源で、しっかりと受け止めてゆかねばならない深信の真実である。ここで「ひとえに親鸞一人がため」という「一人」について『正法眼蔵』「優曇華うどんげ」の巻から連想される場面がある。(もっとも両者は全く同一の場面ということではないが。)それは巻頭の一文「霊山れいぜん百万衆の前にして、世尊、優曇華を拈じて瞬目しゅんもく(目くばせ)したまふ。時に摩訶迦葉、破顔微笑せり。世尊云く、我に正法眼蔵涅槃妙心有り、摩訶迦葉に附属す」という経典のことばである。前節ですでに論究してきたように、この一文は空の立場から言われている。文面の表面では世尊の拈華による瞬目は、摩訶迦葉だけが世尊の意を解して破顔微笑したが、「百万の大衆、聾ろうの如く唖の如し」で、何もわからずぼんやりしていただけだったと解されている。丁度それは弥陀の本願はただ親鸞一人だけにしか真実には信解されないように受けとられがちだが、空の場においては世尊の優曇華もその拈華も摩訶迦葉も破顔微笑も、それぞれの存在や働きの根源において空の立場から一切が互いに主従関係として蔵身し合って、いわゆる回互的相入関係(逆対応関係)をなしている。そこでは摩訶迦葉一人だけが、親鸞一人だけが特別に優れていて、如来の本願廻向や世尊の正法眼蔵涅槃妙心に与ったというのではなく、両者のそれぞれの根底において一切衆生や百万衆が回互的相入関係(逆対応)によって蔵身されているということ、つまり誰一人例外なく平等に破顔微笑し、仏法の真実を附属された、その代表者として親鸞一人があり摩訶迦葉があると解すること、しかも仏の拈華や瞬目、あるいは摩訶迦葉の破顔微笑の瞬間瞬間が即永遠の現在として現在の我々の自己自身に直接関わってきているということ、その霊山も特定の霊山ではなく到るところ霊山であることを示しているというのである。ここに空の場における宗教的見解をうかがうことができるのである。

 第二に、親鸞の次の言葉が私には深い印象を与える。

「転ずといふは、つみをうしなはずして善になすなり。よろづのみづ大海にいればすなはちうしほとなるがごとし。」(『唯信鈔文意』)

ここで「転ず」という言葉は、凡夫の煩悩心が如来の大悲心に転換することである。この転換は、我々の自己の立場の絶対的転換である。衆生の自力の無(主体のゼロ点)を通して、如来の他力の成立へと移り行くこと、それを如来の横超による摂取不捨の本願廻向という。ここで、横超とは、我々の自己にどこまでも超越的であって、衆生がどんなに煩悩心や罪悪心の渦中にあっても、それとはかかわりなく、罪を罪のままで(「つみをうしなはずして」)そのままで包摂する大悲力である。これを「煩悩を断ぜずして涅槃を得」というのである。

 以下の和讃はこの「転ず」のあり方を示している。

(1) 弥陀誓願の広海に 凡夫善悪の心水も 帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる

(2) 無碍光の利益より 威徳広大の信をえて かならず煩悩のこほりとけ すなわち菩提のみづとなる

(3) 罪障功徳の躰となる こほりとみづとのごとくにて こほりおほきにみづおほし さわりおほきに徳おほし

 (1)の和讃のうち、「凡夫善悪の心水」とは、凡夫の善悪は宗教的にはともに罪悪を意味している。「帰入しぬれば」と現在完了形でいわれているのは、過程的な時を経た後に帰入し終わること、その帰入し終わる時が摂取にあづかり信心が定まる不退の時を意味している。

 (2)は「煩悩のこほり」と「菩提のみづ」とは互いに否定しあう矛盾対立の関係を表している。

 (3)は「罪障」と「功徳」の相互に矛盾関係にあるものが同一の「躰」をなした表現である。これは最初の一文「つみをうしなはずして善になすなり。よろづのみづ(さまざまな煩悩心)大海(大悲心)にいれば、すなはちうしほ(海水)に一味なり」で、空の場所では絶対矛盾のままで自己同一であることを示している。

 いま三つの和讃を提示した理由は、「つみをけしうしなはずして善になすなり」という真意には、仏の大智と大悲をもってしても、この世界内の現象面における業縁の因果の法則は変えること除くことはできないということである。にもかかわらず、世界内のいかなる様相にも無関係に、超越的包摂的に、絶対自由の場の開けているのが、親鸞教でいう仏の絶対他力の道(自然法爾の道)であり、それは自己の根底(絶対的此岸)としての空の場の動力学なのである。この道理は、実は道元禅において、「不昧因果即不落因果」(『正法眼蔵』「大修行」の巻)として提示されているものであった。それは端的に言えば、罪を犯して地獄に堕しても、従って地獄相応の苦悩を味わっていても、逆説的に地獄のままで充分に全身的に極楽浄土の安心を生きぬく道を示してくれているのが仏の光明世界、尽十方無碍光如来の道であったのである。

「善きことも悪しきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまひらすればこそ他力にてはさふらへ」(『歎異鈔』)

「本願をたのみまひらすれば、自然(他力)のことわりにて、柔和・忍辱のこころもいでくべし。」(同上)

「他力の中に摂取された行者は罪悪深重だから、悪を為さないとは限らないが、悪を為したとしても、それは業縁にもよおされたものであって、彼が自由意志で為したわけではない。」(上田義文『親鸞の思想構造』) ここで肝心なことは、我々の自己の主体的ゼロ点(空の場)においては、人間の自由意志は絶対否定されているにもかかわらず、世界内における我々の自己の存在の現象面では、常に無限の過去からの業縁は働き続けているということである。前述した通り、この業縁は仏の大悲をもってしてもどうしようもできない。そこに自然法爾(法性法身)に任せてゆく、私の一切のはからいを入れず、ただ本願他力の道に生きるということである。親鸞の言葉はそれを示しているのである。

 それから、前に挙げた「転ずといふは、つみをうしなはずして善になすなり」ということばに直接つづけて、「よろづのみづ大海にいればすなはちうしほ(潮)となるがごとし」ということばは、くわしくは親鸞の和讃「名号不思議(大海)の海水は、逆謗の屍骸もとどまらず、衆悪の万川帰しぬれば、功徳のうしほに一味なり」と同意であって、この和讃中の「逆謗の屍骸もとどまらず」ということばは、『正法眼蔵』「海印三昧」の巻中にも「大海不宿死屍(大海は死屍を宿せず)」とあって、これらは経典(『華厳経』や『涅槃経』)のことばから取り出されたことばと思われる。この「大海不宿死屍」についての道元禅師の解釈は、結論から言えば、大海(仏性海)死屍(死骸)のままで海の中の海徳に徳化してしまうというのである。従って「不宿死屍」は文面では死屍は大海には除外されてしまうと解されがちだが、そうではなく、この「不宿」は、大海(仏性海)では、そのものに囚われず非実体的に不染汚にして脱落していると解しているのである。その親鸞の和讃も道元の「海印三昧」も、「海水」と「死屍」とは一見融即的一味として同様に解されるのであるが、後者の「海印三昧」はそれにとどまらず、転換的に次のように「死屍」を解するのである。「死屍は死灰なり、幾度逢春不変心(いくたびか春に逢うて心を変ぜず)なり。死屍といふはすべて人人にんにんいまだみざるものなり(非対象的なもの自体)。このゆゑにしらざるなり」とあって、『御抄』(直弟子の注解書)には、「死屍死灰と談ずるときは、死屍の外物あるべからず、此道理が幾度逢春不変心也といはるるなり。幾度春にあへども不変心とは、死屍の独立の道理なるべし。此死屍のすがた、死屍の外に能見所見あるべからず、ゆへにしらざるなり」という解釈がのせられている。これは禅仏教の行的論理として「一方を証するときは一方はくらし」で、大小広狭の二見分別を超えるのである。つまり大海(仏性)と死屍とはともに回互的逆対応的関係において、一方では尽十方界大海(仏性・大海ぎり)であり、他方では尽十方界死屍(死屍ぎり)なのだというのである。尽十方界とは不染汚にして脱落の意である。これは最初の「行仏威儀」の巻で言及しておいた「放行」と「把定」の行の二面を表しているのである。それは『正法眼蔵』における道元禅師特有の説示である。

 

(十) 念仏と坐禅の只管行について

 浄土真宗における衆生済度の手形としての名号は、衆生に廻向された名号である。それはことばの二重性即ち「言と言葉」として受け取られる。その論理構造は複雑で、宗教という立場からは根本的には仏の呼びかけ・語りかけが始めにあって、それを衆生が聞くという動的関係にある。しかしこの呼びかけ・語りかけと、それを聞くという関係には、衆生から語りかけ仏がそれを聞く面と、仏が呼びかけ衆生がそれを聞く面と、二重の関係が考えられる。まず、衆生の語りかけは、必ずしも最初から仏に向かって語りかけていなくとも、衆生の存在そのものがすでに迷いの中にあって何かを求め願っているという、すでに人間存在が本来持っている問題性が先立っている。それに対して仏は衆生の迷い求めている声を聞き入れて、衆生済度の本願を成就せんとする。それが衆生の願を含んだ衆生への本願廻向の呼びかけであり、その呼びかけに衆生が「ハイ」と聞き入れた言葉が、「南無阿弥陀仏」という名号である。この名号が真実に成立するには仏と衆生との間に衆生の根源的自覚(大信。人間主体の絶対否定としてのゼロ点そのものとなること)がなければならない。こうして名号が名号自身となったとき仏が仏自身に成ることができるのである。その本願を成就したとき法蔵菩薩阿弥陀仏として成仏するわけである。従ってその名号とは単に人間が口先だけで称名するのではなく、人間存在の全体(身口意の三業全体)が称名の大行に帰入し得て「南無阿弥陀仏」が「南無阿弥陀仏」になることに帰結する。念のために確認しておくことは、名号の「南無阿弥陀仏」は、文面からいえば「阿弥陀仏に南無(帰命)する」という仏を向こうにおいて衆生がそれに帰命するという、能所二見の見解を意味するが、この二見分別は「機法一如」においてすでにはるかに超えられているのである。従ってその「南無阿弥陀仏」は、「無義をもって義とする」限り、この称名以外のはからいの論議はすべて不要となるのである。結論を先立てていえば、尽十方界南無阿弥陀仏であり、一切が声なき声(言)として絶えざる念仏称名の響き渡りの世界を意味する。これが浄土門の大信・大行の世界である。なおこの称名念仏の帰結への歴史的経緯には、善導・法然から親鸞へ、親鸞から一遍への進展が見出されるが、それは総じていえば、「人から仏へ」の呼びかけが「仏から人へ」の呼びかけとなり、究極的には仏が仏を念じ、念仏が念仏自身に成るという、人と仏との能所を超えたところに絶対的自由が開かれるのである。このことはすでに親鸞の伝統的宗学思想の枠をも超えた私自身の道元禅と通底した受け取りである。

 ここでこの称名念仏について注意すべき一点がある。それは称名念仏のはからいなしということであるが、この人間のはからいなしは最初から無条件に与えられているのではないということである。人間はどんなにしても’ハカライ’の妄念から解脱することができない。だから逆説的な言い方になるが、自力の尽力をもって自力の無効性を根源的に自覚することにある。人間の自力への絶望が、人間主体をも埋ずめ尽されて絶望ぎりとなったとき、「現成即会得」として必然的に絶望の自覚が与えられ、その自己の無において相入関係(逆対応的に)が成立し、仏の大悲の本願力によって、「南無阿弥陀仏」ぎりとなるのである。そのとき衆生済度と仏の成仏とは絶対現在において同時的なのである。

 こうして、「南無阿弥陀仏」とは、いまここで唱える自己が身ぐるみ「南無阿弥陀仏」そのものになってしまって、その外に仏も自己もないということである。ただ称名なるのみ。それを大行大信という。浄土真宗に限らず、道元禅も、否な広く仏教だけでなくキリスト教の宗教の真実とは、繰り返していうことであるが、ともに自己自身のゼロ点(吾我の絶対否定)に立脚して(それは自力の無効を自覚させられてのことであるが)絶対自由の無の場所に渾身心を開くことである。

「念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神てんじん・地祇ぢぎも敬伏きょうふくし、魔号・外道も障碍することなし。罪悪も業報を成ずるあたはず、諸善もおよぶことなきゆへに無碍の一道なり。」(歎異抄』第七)

驀然まくねんとして(まっしぐらに)尽界を超越ちょうおつして、仏祖の屋裏に太尊貴生たいそんきせいなるは、結跏趺坐なり。外道魔党の頂寧ちょうねいを蹈飜とうほんして、仏祖の堂奥に箇中人(本分人)なることは、結跏趺坐なり。仏祖の極之極ごくしごくを超越するは、ただこの一法なり。このゆゑに、仏祖これをいとなみて、さらに余務あらず。」(正法眼蔵』「三昧王三昧」) *「寧」は原文では「寧」に「頁」。 

この親鸞聖人のことばも道元禅師のことばも、大行大信の偽らざる表白である。私たちもこのような偉大な先人にならって、大行大信の生その誓願の偉大なる生に、少しでもあやかって、この生涯を貫いてゆきたいものである。「念仏が念仏する」とか「坐禅坐禅する」とか、「只申すばかり」の「只管念仏」も無所得無所悟の「只管打坐」も、これ以上の言説と心行とは、もはや「自然法爾」の「義なきを義とす」を義としてしまった感あり。恐惶謹言。

 

*1: )内は筆者注)

 「一切業障海と云ふ句は捨つべき物とおぼゆ。三界(世間)の法なるゆへに。端坐思実相(端坐して実相を思へ)の詞は取るべき物とおぼゆ。実相を聞くゆへに。…罪障は不可得の法なり。(仏果も不可得の法なり。)自他共に実無し。とるべきもなく、すつべきもなし。妄想の極所其の跡をのこさず。実相の極所あらはす所なし。(端坐思実相において)迷悟生(衆生)仏一(一体)なるを懺悔の体とす。すなはち懺悔を修する者即ち功徳具す。妄想と実相と相対して能持所持の法かと覚ゆれども、能所体脱すれば、能所無し。是れ仏法の正路也。皆従妄想生(妄想より生ずるもの)を置いて、端坐思実相にて解(解脱)するとは心得べからず。…是れ驢事未だ去らざるに、馬事到来の義なり。(行くものも馬なれば、来たものも馬だ。実相と妄想は驢事馬事だ。空の場において真妄ともに解脱)所詮仏果菩提の法を以て懺悔と習ふべき也。(真妄無性、ともに実相なりと、空の場において体脱することが懺悔の法だ。)滅悪生善(悪を滅ぼし善を生ずる)は仏法の懺悔にあらず。善悪に不染汚(善悪の実を見ず)これ懺悔也。前後を分別すれば、前後有るに似たり。思想亡ずる処、一切時無し。過現未来、心不可得。(身口意の)三業と言うと雖も、一念に過ぎず。無生、更に罪の悔ゆべき無し、是れを三業清浄と名づく。」

 要は、一切の罪障はその存在の根底において無始無終の宿業報であるが、空の場においては、その無始無終は、刹那生滅のいまここにおいて、逆説的にその始めにして同時に終わりである。これが絶対現在の自覚である。真の懺悔の行道は「端坐思実相」であるが、これは端坐することによって、又は端坐しながら、実相を対象的に思考し反省せよという意味ではなく、端坐それ自体(無所得無所悟の只管打坐それ自体)が「思実相」なのだ。くわしく言い直すなら、「端坐即思(不触事而知 不対縁而照)即実相」であり、実相そのものとなった思惟(端坐)を真の懺悔という。端坐とは「自己の正躰」であり、真妄・能所の二見分別を止めて、真実の自己そのものになること。この「端坐思実相」の只管打坐によって真の懺悔が成立し、刹那生滅のいまここの罪障は、すなわち行仏威儀の実相に転換されるということである。単に仏前で、あるいは衆人の前で自己の犯した罪業を悪うございましたと謝るだけのことではなく、吾我を放下し、空そのものあるいは絶対現在としての打坐一行に徹して三世を超越し、真妄を体脱するということが真の徹底的懺悔ということだったのだ。

 

「行仏威儀」の巻のこの本文に見られた道元禅師の罪障観と親鸞聖人の罪障観とは、同じ大乗仏教として「絶対空」(真空妙有)を根底とすることにおいて根本的にはちがいはないが、それからの解脱と救済の仕方については大きな開きを示している。以下はその参究である。

 

罪障観における道元禅と親鸞教とのあいだ

(一)

正法眼蔵』「行仏威儀」の巻中、道元禅師の罪障観参究の中で、道元禅と対比的な浄土真宗における罪障観は如何なるものか、両者間の異同を考えてみようと思います。そのためには、先ず道元禅と親鸞教とのそれぞれの宗旨を確認しておく必要がある。この両者の宗旨の差異については、常識的立場からいえば、共に大乗仏教でありながら、禅仏教は聖道門として絶対自力を宗旨とするのに対し、浄土真宗浄土門として絶対他力として対比されて受けとられている。歴史的な現象面から見れば、確かにその通りなのだが、その在来の教義上の固定した枠を離れて、両者が共に成り立つ普遍的な根源的事実から見たとき、言葉の上では互いに全く反対の意味をもつ自力も他力も、実はイマ・ココの自己自身の根底的働きにおいて、共通の土台の上に立っていることに気づく。つまり、意識の場における自己存在(自我)に対して、その自己存在の成立する根源的事実、いわば「自己のもと」を、禅仏教は「絶対自」とも「全自己(空の場のおいて自己以外に何もない全体的自己)」ともいい、浄土真宗では、「絶対他力」とも「大悲」あるいは「本願廻向」とも言われている。なるほど両者間では究極的真実に至るまでの過程においては、自力・他力の相違はあっても、究極の処では自他一如という場所的同一に出会うのである。それに加えて、絶対自力の立場と見なされている道元禅においてさえ絶対自力というよりも絶対他力として親鸞教と見間違えるような以下のような一文に出会うのである。

「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家になげ入れて、仏の方よりおこなはれて、これに従ひもてゆくとき、力をも入れず、心をも費さずして、生死をはなれ仏となる。たれの人か心にとどこほるべき(心中ためらい途惑うことがあろうか)。」 (正法眼蔵』「生死」)

この一文を読めば、「仏の家になげ入れて、仏の方よりおこなはれて」全く他力の教えそのものとなっている。これは自力に徹することによって、自力に対立する他力になるということではなく、自力他力の二の消え去ること、自他一如の不二の行道として「自己のもと」に帰すること、親鸞教でいえば「自然法(自然のありのままの働き)」に帰一してゆくことを意味しているのである。このことは、また後で触れることになるが、いまここで我々が最も注目すべきことは、この両者の原点は、吾我の絶対否定にあり、一切の自己のはからいのない、主体のゼロ点におかれているということである。このゼロ点に立脚してこそ、はじめて空の場の無限の開けに通じてゆくのである。西田哲学の遺稿論文「場所的論理と宗教的世界観」中の宗教論も、単なる宗教的体験にとどまらずに、この空の無限の開けの場所から動的な論理構造(場所的論理)として捉えていたのである。この「場所的論理」は、禅仏教の「絶対無」あるいは「真空妙有」という原事実を説明する立場を浄土真宗の宗教にも適用することによって、今までの既成の固定した真宗教学からも自由になって論じたのではないかと思われる。これは後ほどくわしく論述することにします。

 

(二)

 まず、浄土真宗を含めて浄土門一般に見られる罪障観は、自己存在の事実そのものが罪そのものだ、罪悪そのものだと見ていることである。それはキリスト教でいう人間そのものの原罪と通ずるものである。この罪悪観は、道徳的倫理的な内省から来る罪悪観とは、質的に異なることを確認しておかなければならない。後者の場合は、自己の主体が先に前提されていて、自己とその犯した罪悪とは二つに分かれていることである。その場合には、その罪悪は、自己によって表象されたものにすぎない。自己存在そのものが、「即」罪悪だというのではない。これは意識的次元の範囲内に属するものである。それに対して宗教的罪悪観は、自己存在の根底からの仏の大悲の光に照らされてはじめて明らかになる罪悪であって、人間にとってはどこまでも非対象的であるが、それ自体の本質は、自己中心性であり、衝動的な我執の伴う妄念として、根本無明の働きそのものである。仏教ではそれを第六蓋の煩悩として行的にしか解決できぬものとされているのである(参照『宝慶記』)。それは人間にはどうしようもない虚無的にして堕地獄への働きである。それは人間能力の限界点において、絶望に追い込まれ、ついには絶望する主体さえも絶望の中に消えゆく「死に至る病」そのもの、まさにキリスト教でいう原罪そのものである。しかし前述した人間の主体のゼロ点においては、その甚深な罪悪(自己中心性・自己閉鎖性)そのものが、つねに大悲の光によってありのままに照らされているのを我々は知らない。平生我々人間は、その根底的な罪悪そのものに直面することなく、愚者としての徹底的自覚を避けて一生を自己中心的な我執の中で生死しているわけである。その点浄土門の祖師たちは、親鸞も含めて、以下のような自己自身の罪悪の自覚と懺悔の告白の表現が見いだされる。

「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、昿劫こうごうより已来このかた、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし。」(善導『観経義疏』)

「我れはこれ烏帽子えぼしもきざる(〈私は〉元服した男子のかぶりものもせず、男として一人前でない、だらしない)男なり。十悪の法然房、愚痴の法然房が、念仏して往生せんといふなり。」「なおし源空(法然)ごときの頑愚のたぐひは、更にその器にあらざる故に、悟り難く惑ひ易し」(法然「大原おおはら問答」)

「是ここにおいて愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿じんとくの有情、底下ていげ最澄(伝教大師願文」)

しかしこのような罪悪深重煩悩熾盛というような罪の自覚や懺悔の告白は、繰り返していうことだが、単に個人的な経験による反省的な述懐からのみ表白されるのではない。確かに個人的な経験による反省的述懐に即しながらも、浄土門的視点からいえば、自己存在の根源(主体のゼロ点)において、阿弥陀仏の本願による大悲の光に照らされたときはじめて、誰よりも一切衆生の罪を一身に受けた自己自身の存在の本質が罪悪そのものであることに気付かされるのである。この気付きと自覚は、決して自己自身の内省力では不可能であって、その内省力もゼロ点に消えることによってのみ開けてくる信知によるのである。それが「機の深信」である。必定地獄落ちの危機意識も、自己の底深き根柢から呼び起こされてくるのである。この罪悪深重煩悩熾盛の虚無と絶望そのものから大悲の誓願によって必ず救い遂げてくれる大いなる働きを信知することが「法の深信」である。しかし念のために言うことだが、これらの深信は両者とも人間主体のゼロ点の立脚から少しでもはずれたら成立不能になるのである。これは厳しく問われなければならない。

 

(三)

親鸞の著作『教行信証』信の巻に遺された彼自身の罪の告白と懺悔の表現の痛切な苦悶の言葉は、我々に直接訴えて来るものがある。

「誠に知んぬ。悲しき哉、愚禿鸞ぐとくらん、愛欲の広海に沈没し、名利の大山だいせんに迷惑して、定聚じょうしゅの数(信心決定の位)に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快たのしまず、耻づべし、傷むべし矣。」

この彼の懺悔の悲歎の情の一文をよく読み返してみると、前半の言葉はともかく、「定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快まず」という言葉は、ふつう一般の心情としては、少しでも菩提心(道心)を求める宗教者なら、「定聚の数に入り」「真証の証に近づくこと」を何よりも喜び楽しむのが自然の心情である以上、それらは一見すると、余りにも深刻で誇張された言葉ではないかと思われるほどである。だから解説者の中には、(例えば柳宗悦)「表現は多少修辞に煩わされているように思える」とさえ言われているのである。彼はどうして「耻づべし、傷むべし」とここまで自身を「愚禿」の自覚に追い込んでしまっているのだろうか。しかし、この一文を繰り返し読み直してみると、「定聚の数に入ることを喜ばず」は、前文の「愛欲の広海に沈没し」によるのである。「真証の証に近づくことを快まず」は「名利の大山に迷惑」することによるものだと受け取るとき、確かに対句的な修辞法を用いながらも、それなりに納得することができ、それで「耻づべし、傷むべし矣」が響いていたのである。このような罪の告白と懺悔の痛切な言葉は、ほかにも、彼の『愚禿悲嘆述懐和讃』にも見受けられる。

浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし。」

こういう親鸞の罪障観の表現に比べると、道元禅師の「行仏威儀」巻中の罪障観は、道元禅師ご自身の内省から直接出た懺悔の表現というより、本文中にあるように、「諸仏いはく、此輩(注)罪根深重なり、可憐憫者なり。深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり。」とあって、

 (注):本末の断常の邪見・悪見・顛倒の見解をもつ者、

   『法華経』中に出ていた、世尊の説法中に座を立ち去った五千人余りの衆生になぞらえたもの。

此輩の罪根深重担を批判している表現にとどまっている。ここまできて、翻って道元禅師の深信は親鸞の深信とどう対比されるのだろうか。けだし「深信」という限りは、両者とも主体のゼロ点において「機法一如」の一点においては、同じ大乗仏教として異なるものではないと思われる。ただ「機法一如」でありながら、道元禅は一方的に、つまり「一方を証するときは一方はくらし」(「現成公案」)という一法究尽の行的論理として「法の深信」に重心が置かれている。それに対し、親鸞教は機と法の逆限定の両者に表現の重心が置かれている。

 例えば、道元禅師の『学道用心集』には、「法の深信」として以下のように言われている。

仏道を修行する者は、先ず須らく仏道を信ずべし。仏道を信ずる者は、須らく自己本もと道中に在って、迷惑せず、妄想せず、顛倒せず、増減無く、誤謬無しということを信ずべし。是の如きの信を生じ、是の如きの道を明らめ、依って之を行ぜよ。乃ち学道の本基なり。」

ここにいう「仏道を信ずる」とは、「法の深信」をいうので、それはどこまでも人間の主体のゼロ点に立脚すること(具体的には只管打坐の行)が、すなわち深信の意味である。この主体のゼロ点においては真の仏道はつねに現前している処であって、それは「自己ならぬ自己」「真実の自己」「本来的自己」そのものの現成である。これが行信としての只管打坐に究極する。それなら、道元禅は「機の深信」は否定しているかというと、実はこの主体のゼロ点ではやはり機と法とは表裏一体なのだ。よくよく『正法眼蔵』を拝読してみれば、

「直ぢきに根源を截るも人未だ識らず、忙々たる業識幾時か休せん。」(「仏性」)

 (忙々たる業識、せわしなく働いている妄念、忽然念起の根源的無知が休みなく働いているあり方)

「諸悪たとひいくかさなりの尽界に弥淪みりんし、いくかさなりの尽法を呑却せりとも、これ莫作の解脱なり。」(「諸悪莫作」)

この二文とも、主体のゼロ点において「法の深信」(「直に(業識の)根源を截るも人未だ識らず」「これ莫作の解脱なり」)と「機の深信」(「忙々たる業識幾時か休せん」「諸悪たとひいくかさなりの尽界に弥淪しいくかさなりの尽法を呑却せりとも」)とは、逆限定的に同一にして「機法一如」なのである。

 従って結論から言えば、真宗のみならず道元禅もまた表現の裏面において、愚者の徹底的自覚の要は求められていると見なければならない。この点、禅仏教徒も人間である限り、真宗からも罪の自覚を学ばねばならぬと思うのである。

 

(四)

ここであらためて仏教における浄土門の念仏の法門の歴史を一瞥しておこう。そもそも浄土門の念仏の流れは、天竺の馬鳴めみょう、龍樹、世親、唐土曇鸞どんらん道綽どうしゃく、善導と次第する。日本では、空也源信良忍と続く。この流れは、釈迦牟尼仏の慈悲の法体として浄土に住むという阿弥陀仏が、念仏門の本尊として仰がれた。「阿弥陀」とは無量寿の法の意、「仏」とは覚の意である。その日本に於ては、念仏宗は最初はまだ他宗に寄寓して行われ、独立した一宗ではなかった。奈良時代から平安時代にかけて、その当時は叡山の天台宗本山の霊場常行三昧堂が設けられ、常念仏の行が励まれたのである。法然親鸞も、かつてはここに縁を結んだわけである。平安期中期になって慧心僧都そうず源信は、『往生要集』の大著をものして念仏の宗風を一世に靡なびかせたのである。彼がもっぱら唱えた念仏には二つの段階が考えられた。一つは心に仏を観ずる観仏(憶念)であり、一つは仏を称える六字(南無阿弥陀仏)の称名(口業念仏)であった。源信はそのいずれをも人々に勧めたが、観仏は上根の者の修する念仏であり、称名は下根の者に与えられる観仏より低い念仏として考えられた。しかし鎌倉時代になって、法然(1133-1212)によって称名念仏を第一とする念仏宗が寓宗の位から新しく独立の一宗として「浄土宗」と名づけられ、開宗の宣言をすることとなった。それは旧仏教に対する反逆的戦闘的宣言であった。私があらためて浄土門の念仏の仏教史を調べたとき、大いに驚嘆し感嘆の心をゆり動かされたのは、法然上人の一切衆生を救わんとする命をかけた誓願の強さであった。それは単に彼自身の誓願というより、彼の存在の底から彼自身を全的に突き動かした阿弥陀仏自身の大悲、本願の廻向によるものであった。彼の開宗宣言は死を覚悟のものだったのである。実は、その当時までの仏教は、鎮護国家のための仏教であり、天皇や貴族というエリートのための仏教として国家権力の下、国家公務員として生活は保障され、虐げられた下品下根の多くの衆生のためではなく、大方は、自己の立身出世を目指すものでしかなかった。だから道元禅師の『学道用心集』の特に第一章に繰り返し激しく批判しているように、当時の学僧たちは、ただ名利名聞を求めてゆく教学でしかなかったのである。まさにそれは末世の様相を呈した頽落した仏教の歴史的状況下にあった。その中で、当時智恵第一とされた法然上人の比叡山三十年間のうち、四三歳になって、中国の善導大師の『観無量寿経疏』の一文に開眼回心し、念仏以外の行を選捨し、ひたすら称名念仏の道に帰入したのである。彼は『選択せんちゃく本願念仏宗(当時六六歳。公開は死後)を著して、困窮した一般大衆を忘れた従来までの聖道門の仏教を徹底的に批判したのである。そこでは、末世の時代釈迦伝来の仏教の根幹であった自力的な発菩提心をも自己自身の内面の罪の自覚を通して否定し去り、果敢に旧勢力の聖道門の仏教と対決したのである。そしてひたすらこの世の底辺で生きる民衆の救いのために専修の称名念仏によって、浄土門の仏教の寓宗からの独立を宣言したのである。この称名念仏はよく大衆の心をつかみ、一気に世間に流行していったのだが、しかしそれはあまりに過激で戦闘的であったために、多くの誤解を受け、当時国家権力と一体化した南都北叡の旧仏教から迫害されて、挙句の果てその専修念仏は停止された。そして法然の弟子たちは死罪や流罪にあい、法然自身も七五歳にして僧籍は剥奪され、四国に配流されてしまった。そして七九歳にしてようやく上洛を許され、翌年には死去という大事件が起きたのである。しかし念仏の浄土門の歴史の流れからすると、釈尊以来の聖道門の自力による菩提心や修行を大胆に選捨し、絶対他力の専修の口称念仏を選択するという上人の死を賭するほどの決断がなかったら、親鸞(1173-1262)真宗は生まれなかっただろうというのが大方の学者の見方なのである。

 その親鸞もまた越後への流罪の憂き目にあい還俗させられた。彼の場合は、当時出家仏教を僧の原則とする歴史的背景の中で、公けに妻をめとり多くの子を設け「非僧非俗の愚禿」の自覚に生き、罪が許されても老いた法然上人のいた京に戻らず、東国にとどまりひたすら賀古かこの沙弥教信(注)の一生に範を見出して彼もまた生涯寺をもたず東国農民と共に生き、七十歳になって独り京に帰りただ寄寓に身をまかせて、『教行信証』の著述と東国農民との手紙のやりとりで称名念仏に勤しみ九十歳の生涯を閉じたのである。彼は一生を通して在家仏教に生き、家庭の悩みは死の直前まで続いた。

(注)〈教信〉賀古の教信又は教信沙弥と称す。光仁天皇の皇子と伝う。もと興福寺の学僧、唯識因明に精通す。のち営利を捨てて播州賀古に隠れ、西方に墻しょうせず、本尊を安ぜず、聖教を持たず、妻女を帯し非僧非俗の形にして常に念仏す。人呼んで阿弥陀丸という。貞観八年(866)八月寂。親鸞聖人深く敬仰し、自らその定といえり。(宇井伯寿『仏教辞典』)

 中国では法然の師善導でさえ浄土門の念仏行を強調はしても、聖道門そのものまで否定することはなかった。法然によって既成の聖道門の自力仏教が無視してきたいかなる下品下根をも救わんとする阿弥陀仏の大悲の誓願による口称念仏は、後述するように悪人正機説として世の中に大きく広まり、彼の下に卓越した門弟たちも多く集まった。その門弟たちの中で今日まで残っている浄土門は、浄土宗として聖光の鎮西ちんぜい(「二類往生」といって、念仏行でない行にも往生を認める立場)と証空の西山派(念仏の行のみに往生を認める)親鸞浄土真宗であり、親鸞自身は一宗を起こす意向はなかったのであるが、法然の他力門の教えを純化し、一切の自力的要素を棄て去って、念仏の信心を重く見て、念仏行は信の一念に結晶され、それは報謝の念仏として生かされていった。そして足利時代に出た蓮如上人によって真宗はとみに栄え、念仏門中最も巨大な一宗となって今日に及んでいる。しかし念仏宗はそれで終わらなかった。現代の我々には親鸞浄土真宗浄土門仏教の代表格として知られていて、とかく忘れられていたのが一遍(1239-1289)の念仏なのである。この一遍によって念仏の意義は究竟の点まで高められ、念仏独一の法門に達したことは、柳宗悦の『南無阿弥陀仏(岩波書店)を通して知られたのである。

 現代浄土門の教学者たちも親鸞真宗は高く喧伝されても一遍の時宗はあまり紹介されてこなかった。それは蓮如上人の見事な教化活動によって影の存在になってしまったこともあるが、一遍自身が彼自身の著述を一切焼き捨てて「白木の念仏」のみにすべてを捧げて一生を全国に遊行し、短命(五一歳?)で終わったことや、時宗の寺々が焼却して残り少なになったことにもよるのである。そして親鸞も一遍も一生を寺をもたず念仏で一生を終えた教信の生き方に習ったものとされているのである。その一遍の活躍された時代は、道元日蓮が多忙であった時期にあたる。

 ともあれ、鎌倉時代に輩出した多くの偉大な高僧たちのうち最も日本的な宗教体験を示したのは浄土門の仏教であって、未だ印度にも中国にも見られなかった念仏専修の法門は、日本文化の示す最高峰の一つとして、「民の宗教」「在家仏教」として強調されたことは、ひとえに柳宗悦の力説によるのである。

 

(五)

 浄土真宗の宗旨は、総じていえば、「如来衆生との根源的関係」を根本的課題とするものである。その根源的関係とは、端的に言えば「対立即包摂の関係」にある。その対立とは、煩悩熾盛の堕地獄の衆生とそれを無条件に救わんとする阿弥陀仏の本願廻向であって、その対立のままの包摂とは、衆生を摂取不捨せんとする大悲的救済である。この仏の救済の道は、修行によって直接成仏せしめんとする禅仏教と異なって、阿弥陀の浄土に往生せしめてから、衆生を救済成仏せしめるのである。前述した通り、衆生は根源的に自己中心的な我執の故に、自力では仏の本願を信ずることができず、どんなに努力しても反仏的反涅槃的たらざるをえない。たとえ人間界で善人と言われ得ても、その善は我執に染汚した善にすぎず、仏の大悲の眼からみれば、すべて一切衆生は例外なく凡俗の悪人である。だから弥陀の誓願は、「悪人正機説」とまでいわれるのである。このような衆生を救わんためには、絶対不動にして動、絶対無相にして相なる仏(法性法身)自らは絶対否定的に罪悪ぐるみの衆生に同事行を行じなければならない。それが、一切衆生の身になった法蔵菩薩である。この法蔵菩薩は、『大無量寿経』によれば、ある国王が世せい自在王仏の説法を聞いて翻然として王位を捨て国土を去り、一沙門の身となって名を法蔵と改めた。そして衆生済度のため、五劫という長い間の苦しい修行と思惟を重ねて、済度衆生のための四八条の誓願をたて、ひたすら仏土(安楽界・極楽浄土)の具現を求めた。その修行の結果、菩薩の位から如来の位に入ってこのかた十劫を経たと、経文に記されている。これを「十劫成仏」といい、同時に「久遠実成くおんじつじょう」の阿弥陀仏ともいうのである。こういう経文を読むと、法蔵菩薩とは架空の人物であって、単なる創作された神話ではないかと疑われるのである。よく宗教自体には様々な神話があるが、それを単なる創りもの、せいぜいただの譬喩として顧みることをせずして終わるのが、現代の科学的知識の上で生きている我々である。しかしかかる神話には、実存的な立場に立って、この有限な人間の世界(世界内存在)を超えて、この世界の彼岸この世界の地平の先に、無限の開けのあることを大乗仏教は教えるのである。それが、見ることも考えることもできない、非対象的な絶対無あるいは空の世界の存在である。この空の立場からすれば、仏はそれに属し、人間としての法蔵菩薩はこの世界内存在の一代表として非神話的に考えることができるのである。即ち法蔵菩薩とは、我々の自己存在に類比せる人間として見ることができる。つまり世界とは、仏の属する世界(世界ならざる世界)と人間を含めた一切衆生の属する歴史的世界と二重の世界と考えられる。しかも前者の世界は、人間には知られざる見えざる非思量の世界であるから大抵の場合無視され、この閉じられた此岸的な世界の中で一生を自己中心的・我執的に生きているのが現実なのだ。この歴史的現実の世界では、人間はたとえどんなに科学が発達し理性知の立場の限りを尽くして生きたとしても、二見分別(自他・能所・先後・差別)の世界を超えられぬ。それにひきかえ、見えざる仏の世界には、般若智あるいは無分別智による大慈悲行によって、この世界のあらゆる価値観や意味を転じ、この世界の善悪強弱先後の差別を差別ながらに無差別とする、絶対矛盾的自己同一の弁証法的な摂取不捨が働いているのだ。この見えざる世界の事実(真実)を単に知識として知るのではなく、渾身知することを覚とも信知とも成仏ともいうのである(往々にして学者を含めた我々は二見分別にとどまって思惟の自由がきかなくなってしまい、死せる知に終わりがちである。だから罪悪といっても倫理上の罪悪しか見えず、宗教的罪悪は全く思いもつかない)。しかしこの見えざる世界、その大悲の働きは、我々衆生からは遠く離れた単なる外在的超越の彼方にあるのではなく、この世界に今ここに生きる我々の自己の脚下、今ここの自己存在の根底に、内在的かつ超越的(自己自身の成り立つ根源・無底の底)に常に働いているのである(補注)。その内在的超越的力を、聖道門の禅仏教では絶対自力の全自己とも、尽十方界自己の光明ともいい、浄土門ではそれを絶対他力とも本願廻向とも言っているのである。

 浄土門では、この内在的かつ超越的な働きをする仏を、法性法身とも方便法身ともいい、どちらも形のない見えざる世界に属しているが、後者の方便法身(浄土門特有の仏)は、内在的超越的働きと同時に外在的超越的にも働いて個々の衆生に直接的に対応してその衆生を救済しようとするのである。その働きによって法性法身という絶対無・空そのものにとりついで、一切衆生に法性法身の実在を知らせ、それに直接面することを役割としているのである。この方便法身である阿弥陀仏は、具体的に直接個々の一切衆生に対応して同事行を行ずる仏として、浄土門ではこの方便法身としての阿弥陀仏を「誓願一仏乗の真仏」とし、一切衆生がこの真仏の本願招喚の勅令を通じて念仏をもって法性法身と一味になる道を開いたのである。

補注

以下は星野元豊著『親鸞と浄土』を参考して私なりにまとめたものである。

見えざる世界(法身・真実・般若智・大悲)には法性法身と方便法身とあり、曇鸞の浄土論註によれば、「法性法身に由って方便法身を生ず、方便法身に由って法性法身を出す」とあり、両者は不一不二、互いに絶対否定を媒介として相入関係(逆対応的関係)にあり(第七節参照)、法性法身は絶対無(空)そのものとして絶対の不動にして動、方便法身は方便仏にして且つ逆説的に衆生にとって真仏。法性法身の立場からすれば、法性法身は二方面に自己を限定する。一方は外在的天上的に上から下の一切衆生に向かって方便法身の働きとして働きかける。他方は地下的内在的に十方微塵世界と一切衆生の心そのものとしてあると同時に、方便法身の世界にも歴史的現実界にも生きて働くのである。従って地下的働きは、本来的には法性法身であるのに対し、外在的天上的に働く働きは、方便法身の働きである。後者の方便法身は、まず迷妄の凡夫に耐え得べきものとして本来、現実的具体的に個々の衆生済度は名号の呼びかけとして凝縮される。それが、「尽十方界無量寿無碍光如来」としての浄土の阿弥陀仏である。この阿弥陀仏はより具体的に言い直せば彼岸の彼方から現実の衆生に浄土を願生せしめ、衆生の主体を絶対否定することによって弥陀自身に対する帰命を命じて働きかけるのである。この衆生への絶対否定の実現は一切のものの仏の自己表現そのものと化し、一開一落、飛花落葉すべてこれ仏のよびかけの表現となる。「まことに空にさえずる鳥の声、峯より落ちる滝の音、草むらにすだく虫の音、すべてこれ方便法身の自己表現にほかならない。それはいま南無阿弥陀仏という六字の名号に凝縮されて我々に迫っているのである。このよび声に呼応するものは個としての私である。よびかける個としての弥陀とそれを受けとめる個としての私との触れ合いの瞬間(第六節参照)こそ南無阿弥陀仏の現実における赤裸々なる全現である。」(同書より)

 

(六)

 こうして浄土真宗では、如来衆生との関係において、いかにして罪悪深重煩悩熾盛の一切衆生が救われるかということが根本問題であった。総じていえば、その衆生済度は阿弥陀仏の本願廻向によって真の信心が衆生に与えられることによる。そのことによって衆生が真の信心を獲得して不退転の位につき、阿弥陀仏の浄土に往生し、無性の証を得ることに帰結する。これが本願廻向の「往相おうそう」であり、その「往相」は同時に、衆生済度のため、この歴史的な現実世界に「還相げんそう」せしめられるのである。(「謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の廻向有り。一には往相、二には還相なり。」)それが自利利他行なのである。この本願廻向という一つの概念が浄土真宗の全体を包括しているのである。くり返し言うことだが、衆生が済度されるためには、衆生が真の信心を獲得することが根本的な課題である。ここで真の信心とはどういうものか。それは普通に考えられるように、本願廻向を対象化して、それを信ずるといういわゆる自己の意識作用をいうのではない。信とは、我々の自己の全身心を本願廻向に帰入して自己のゼロ点において本願廻向そのものと化し、無限の開けのうちに絶対自由を得ることである。その意味で、信とは根底的に覚でなければならない。しかしながら、繰り返し言うことであるが、我々の自己は、一切のはからいをやめてゼロ点になることは絶対にできない。根源的に根本無明から抜け出せないからである。念仏行の「南無阿弥陀仏」の「南無」とは善導や法然までは、文面通り、我々の自己が自力的主体的に「仏に帰命する」という意味だが、浄土真宗では仏の「本願招喚の勅命に帰命せよ」ということであった。しかしその勅命に自力(意識的次元の意志)では決して帰命できないのが衆生の現実である。従って衆生が自己の我執を離れ、主体のゼロ点そのものとなって真の信心を得るためには、阿弥陀仏絶対他力によって衆生の我執とその自己中心性が絶対否定されなければならない。真の信心の成立は唯一的な衆生の実存的個と、それに対応して救済せんとする絶対主体の個としての阿弥陀仏との直接的なかかわりによる。それはまさに阿弥陀仏のみずからの絶対否定(絶対無)による一方的な同事行の大悲行による一刹那の出来事であって、それは衆生にとっては全く偶発的である。より具体的に言い直せば、衆生の個の尖端と阿弥陀仏の個の尖端とが触れ合うまさにその時、衆生は絶対否定的にゼロ点そのものとなる。そのゼロ点(絶対無の開け)において、本願廻向による仏の信心は転じて、衆生の信心となり、衆生は無にして真の信心を得ることができるのである。(「信楽に一念あり、一念とは斯れ信楽開発の時剋の極促を顕わし広大難思の慶心を彰わす。」(『教行信証』信巻)「一念といふは信心をうるときのきわまりをあらわすことばなり。」(『一念多念文意』